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夜が泣いている

ある会社で細々と、グリーティングカードを作っていたことがある。
その会社の主役はキャラクターグッズだったから、そこは日陰の部門だった。

僕の主な仕事は、面白いカードを企画することだった。
アイデアや仕掛けを駆使することもあれば、主に文章で面白がらせることもある。

企画が固まると、部内のデザイナーに頼むか外注に出すかして、サンプルを作る。
通常はその後に決裁を仰ぐことになるが、場合によっては、企画の段階で僕自身が簡単なダミーを作って、事前に上のOKを取っておくこともある。
いずれにしても、出来れば新作をどんどん世に出したかったのだが、人手も予算も時間も足りなかった。

それを補ってくれるのが、アメリカのH社だった。
グリーティングカードの大手で、提携先なのだ。
僕らは僅かばかりのロイヤリティで、H社のカードを比較的自由に活用することができた。

一番簡単なのは、そのまま翻訳することだが、これは意外に難しい。
まず第一に、日本で受けそうな絵柄は、そんなに無かった。
内容的にも、文化やセンスの違いで、ちょっと使えないな…というものが大半だった。
そこで実際には、翻訳というより、大胆に翻案することの方が多かった、

更に奥の手があった。
アートワークはそのままに、コンセプトそのものを全く別のものに替えてしまうのだ。
逆に、先に作ったアイデアと文章に合わせ、ぴったりきそうなアートワークを探し出して、嵌め込む場合もある。
音楽作品に、詞先と曲先があるのに似ているかもしれない。

カード部門のトップはO専務だった。
どことなく、故大平正芳さんに似た巨漢だ。
アーウーではないものの、ハスキーでやや聞き取りにくい話し方をしたが、海外生活も豊富で英語にも堪能だった。
H社とのフレンドリーな提携関係も、99%この人の功績だ。

彼は見かけによらず涙もろく、超が付くほどのロマンティストでもあった。
カラオケの十八番はロス・インディオスの「コモエスタ赤坂」。
なかなかの歌唱力ではあったが、何度聞かされたかわからない。

彼と僕のそれぞれの事情で、互いの人生が交わる期間はあまり長くはなかった。
そんな中でも、忘れられない出来事はある。

マイナーな部門ではあったが、O専務はグリーティングカードを心の底から愛していた。
それだけに、商品のひとつひとつに対するこだわりも、半端ではなかった。
決裁の場で、どうにも気に食わない文章があると、自ら代案を出さずにはいられない。
以下は、そんな専務の作品の中でも、忘れられない「傑作」のお話。

H社のカードに、女の子が部屋で独り電話を待っているイラストがあった。
かわいくて、しゃれていて、なかなか趣のある絵だ。
この絵柄をぜひ使いたいという声が、女性スタッフを中心に盛り上がった。
ただ、添えられた英語の原文は、ポエムのような代物で、そのままではとても使えない。

そこで、スタッフ一同が集まり、「寂しい」「会いたい」といったコンセプトで、様々な文案を出し合うことになった。
その中からいくつかをセレクトして、決済の場に臨む。

O専務とカード企画部員の集まった小部屋で、企画担当の上司がプレゼンテーションする。
専務は顔を顰めたままで、なかなか首を縦に振らない。
重苦しい沈黙。

「う~ん…しっくりこないんだよなあ…」

そう言って、腕を組んで目を閉じる。
そしてまた、しばしの沈黙の後…

「こんなのはどうだ…」

スタッフはみんな、居住まいを正して耳を傾ける。

「夜が泣いている」

それぞれの本音は、抑えた表情に滲み出ていたが、異を唱える者はいない。

『夜が泣いている』

結局そのカードには、そのひとことが添えられることになった。

夜が泣くこのカードがどのくらい売れたのかは、思い出せない。

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