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迷走宮

同期のT君は、触れれば手がぎとぎとになりそうなほど脂ぎっている。
自他ともに認める絶倫男で、周囲からは密かに「ウォーキングペニス」と呼ばれていた。
他校の女子学生を同伴して講義に出るのが趣味だが、同じ相手を2度以上見ることは滅多に無い。
正直のところ僕は、T君が生理的に苦手だったのだが、T君の方はなぜか、僕がお気に入りのようだった。
卒業するとT君は、NHKに入った。
新人の頃は結構ちょくちょく、テレビ画面で見かけることがあったが、その後ばったり見なくなった。
今もNHKにいるのかどうかはわからないが、少なくとも不祥事を起こしてどうのこうのという噂は聞いていない。

S君はマリオに似ていた。
赤い帽子も紺色のオーバーオールも着用していないし。、鼻の下に口髭もなかったが、どことなくマリオっぽい、小柄な好漢だった。
大のジャズマニアで、ジャズのことなら知らないことはないほどだった彼は、講義が終わるや独りで新宿に向かい、連日ジャズ喫茶の梯子をしていた。
ひとつの店に晩から朝まで入り浸ていることもあったようだ。
S君の熱中していたものが、もうひとつある。
ソープだ。
ジャズ鑑賞の帰りには、必ずと言ってよいほど、歌舞伎町界隈のソープに立ち寄っていたようだ。
ジャズ喫茶の方は僕も何度か連れて行ってもらったことがあるのだが、もうひとつの方は同行したことがない。
音楽誌に携わりたいといって、S君は卒業後、小学館に入ったが、結局はコミック誌の方に回されて、過酷な編集生活を余儀なくされた。

入学早々麻雀にはまってしまったA君は、学業もそっちのけで大学前の雀荘に入り浸っていた。
とうとうその雀荘の住み込みのスタッフとなり、オーナーの娘と結婚して、前後関係ははっきりしないが、プロの雀士になってしまった。
大学はもちろん、自主退学した。

H君は、すらりとした長身のイケメンだ。
目黒蓮さんを少しクールにしたような雰囲気だった。
作家志望だったが、様々な事情が重なって、歌舞伎町でホストをやっていた。
酒は一滴も飲めず、飲むと卒倒するという。
話術に秀でているわけでもないらしい。
にもかかわらずナンバーワンだった。
講義には比較的真面目に出ていたが、やがて資産家の女性の強力なパトロンが付いて、それを機に大学を中退した。
その後のことは知らない。

Mさんは演歌歌手だ。
現役の大学生でありながら演歌歌手ということで、一時はちょっと話題になっていた。
J-POPやロックやジャズ、あるいはバンドやアイドルということならば、学生であっても珍しくなかったのだが、演歌であるということがミソだったのだろう。
専攻は心理学だったが、講義にはけっこう真面目に出ていた。
講義が終わったらそのまま仕事に出るのだろうか、いつもかなり派手な、ステージ衣装のようなロングドレス姿で、強烈な香水臭を撒き散らしていた。
噂では、入学時はトップクラスだったという。
彼女は卒業前に、歌の仕事はやめてしまったようだ。
キャンパスでは相変わらずド派手な出で立ちで目を引いたが、その後の動向については詳しいことはわからない。

大学は迷宮だった。
若いけだものたちが、生臭い息を吐き、饐えた体液を滴らせながら、あがき、のたうち回っていた。
迷走しているように見えても、彼らは誰ひとりとして迷走してはいなかったに違いない。
迷走していたのは、ほかならぬ僕だ。
キャンパスの中でも、キャンパスを去ってからも、ただただ迷走するばかり… 

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