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二上り節

千葉県の成東出身の友人が言う。

「実家の辺りの連中は、みんな本当にのんびりしてるんだよ。
何しろ気候もいいし、食べるものにも不自由しないし…。
働かなくても、なんとか生きていけちゃうからね。
こういうところには、文学なんてのも生まれないよね。
地元出身の文学者といったら、伊藤左千夫くらいだもんなあ」

言われてみると、ぼくが少年期を送った、伊豆の伊東も、事情は似たようなものかもしれない。
有名な文学者といえば、木下杢太郎くらいのものだ。

もっとも杢太郎といえども、世間一般では、そんなに知られた人ではなかろう。
それでも、ほかには特筆すべき文化人もいないので、地元では杢太郎が、やたらに持て囃されていた。
小学生でも知っているほどであった。

中学時代の音楽の授業では、杢太郎の詩に、音楽の教師自ら曲をつけて、生徒たちに歌わせたりもした。
『海の入日』という作品も、なかなか美しい名曲だったが、もっとも印象に残っているのは、『石竹花』という曲だ。

 夕暮れがたの濱へ出て
 二上り節をうたへば、
 昔もかく人の歌ひ候と
 よぼよぼの盲目がいうた。
 さても昔も今にかはらぬ
 人の心のつらさ、懷しさ、悲しさ。
 磯の石垣に
 薄紅の石竹の花が咲いた。

難しい詩だが、ニュアンスはなんとなく、中学生にも伝わった。
ひとつだけ引っかかったのは、「二上り節」である。
「にあがりぶし」って、なんだろう?

もしかしたら当時の授業で、事前に教師が、歌詞の解説などしたかもしれない。
いや、歌はあくまで歌うもの、歌えばおのずと意味もわかる、というのが、その教師の信念であるかのようでもあった。
下手な説明など、しなかったかもしれない。

改めて調べてみたら、奄美に伝わる島唄の一つ、徳之島節のことらしい。
徳之島オリジナルの曲だから、総称して「徳之島節」ということだが、島内では「道節」「二上がり節」「送り節」等と、集落ごとにいろいろの呼び方をしているとのこと。
哀愁をおびた優美な曲調が胸に迫る。

杢太郎といえば、郷土の名士。
勝手な思い込みで、『石竹花』の舞台も、なじみのある伊豆の海岸を念頭に置いていたのだが、そこで唄われるのが「徳之島節」というのは、なんだか唐突だ。
伊東で生まれ育った杢太郎にも、なんらかの縁で、徳之島につながるものがあったのだろうか。
それとも単に、詩人の想像力の産物か。

ちなみに、磯の石垣に薄紅の石竹の花が咲いているのを、伊豆の海岸で見た記憶はない。

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