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努力ができない奴はダメなのか?

毎日時間がない中、少しでもいろいろ学ぼう。向上心を維持しようと試行錯誤してます。車の中では、YouTubeなどで様々な経営者のお話を聞いてます。

さて、僕が大好きなあの「えんとつ町のプペル」を作り上げた西野さんの言葉から、強者の論理とはなにか、、


まず前提として、会社って新しく入ってくるスタッフのスキルが不たしかだったり、優秀なスタッフが辞めてしまったりしします。
なので、会社組織はこれらのことが起こっても一定のクオリティーが保てるようにしないければなりません。
体系化したマニュアルがあって、そのマニュアルに従えば、20しかできない人でも60くらいの仕事ができるようなる仕組みが必要です。
なので、経営者側が、仕事ができなかったり、成績が上がらないスタッフに対して、「お前は努力が足りないからダメだ」っていう強者の理論を振りかざすのはナンセンスです。
努力ができない人でも平均に近い仕事をできるようにするのが経営者の仕事です。なので、このような経営者側の強者の論理は、基本的には成立しません。
例えば、学校の授業でも、みんなと一緒のペースでみんなと同じようにするのが、本当に難しい子供は必ずいます。そのような子を切り捨てないように、できない子でも平均点がとれるようにするのが学校です。
それを、先生が、「お前は努力が足りないからダメだ」っていうのは、違います。皆と同じことができない子を同じようにできるようにするのが先生の仕事でもあります。


でも、上記の強者の理論が成立してしまう世界=努力ができない人はダメです が成立する場合もあります。
例えばこの日本でいうと、起業して事業をしている人・個人の力で収入を得ている人・芸能人・スポーツ選手・芸人さんなど、、、
この生き方を選択した場合は、
努力が足りないからお前はダメだっていう言葉は普通に飛び交っています。

この生き方を選択しといて、努力をしていない人が「それは強者の理論だ、努力したくてもできない人もいる」って強者の論理を否定する人がいても、お前なに言ってるの?ってなります。
こっちの世界は、会社でもなければ、学校でもなくて、生き残るのは気が狂うくらいの努力ができる0.01%のプレーヤーだけで、努力ができない人を救う義務なんてないです。変態的な向上心がゲームに参加するためのドレスコートで、努力できないならやめちまえ=強者の論理を軸に回っている世界です。
例えば、M1グランプリの一回戦で落ちる芸人さんが「どうやったら売れますかね?SNSの仕方ですかね」ってうのは違います。いいから、血がにじむくらいのネタを書けって話になります。
それに対して、あなたみたいに努力はできないって言われても、その論理って成立しないです。
それなら、会社という組織に属して従業員としての世界で生きてくださいってなりますよね。一度こっちの世界で生きていくことを選択した場合は、ケガすれば終わりだし、鬱になれば終わりだし、頑張れなければ終わりです。
努力しない人間がゴキブリのように扱われるような世界が嫌なら、こっちの世界にはこないほうがいいよってことです。



このような気持ちをもって生きれるかってすごい大事だと思います。
この資本主義社会の日本で、何万て職業のなかから今いるところを自分で選択して、今の自分がいますよね。
だから、それに対して愚痴ばっか言ってしまうカッコ悪い人間にならないように!!(これは僕が自分に対して言ってます( ;∀;))

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