Google Earthに図面や地図を重ねてみながら土地家屋調査士とその周辺の将来について思いを馳せる


Google Earthは恐らく不動産関係の業界に居る方々には少なからぬインパクトやインスピレーションを与え、また良い意味でGISをGISであると意識せずに使えるという点でも優れたアプリケーションだと思う。

2008年に不動産表示登記の世界に入った僕は、祖父、父と代々この仕事に携わっていることだけは知っていたものの、まず我が国の、いわゆる「公図」と呼ばれる地籍「地図」(14条1項も4項も含め)が、真っ白な紙に区画線(筆界)とロットナンバー(地番)が記されただけのものであることに途方に暮れた。そして地積(地籍ではない)測量図も似たようなものであることにも驚いた。

先輩には「地図読めないの?」

と言われたものだが、読むもなにも、道路も建物も何も描かれてない真っ白と線だけの紙を地図と言われても普通こんなもん見て何がわかるんやと思ったものだ。この感覚は今でも間違っていないと思うし「読める」ようになった今となっても「読める」方が普通ではないと自分では思っている。

そのうち、その公図や地積測量図にも様々なバリエーションと出来不出来があることを知るとさらに途方に暮れるわけである。で、土地化家屋調査士という我が家が代々やってきた職業の人たちがまず何をやっているかというと、まず依頼のあった土地の現在の姿(現況)をまぁ人それぞれ程度の差はあろうけれども測量してきて地積測量図や、公図などの各種資料と重ね合わせる。

資料と一致するならば「なるほど確かにこの土地区画だ」
資料と齟齬があれば「どうやら現在の土地の姿は本来の境界(筆界)の位置と違うようだ」(越境等)

ということを(かなり大雑把に言えば、だが)やっているわけである。その判断をもとにそこから境界立会などを業務を進めてゆく。

しかしこの現況測量に掛かる時間と労力は現場にもよるがそれなりのもの、かなりのものとなる事が多い。

ちょうどその頃にiPhoneが登場し、これに搭載されたGoogleEarthアプリを家電量販店の店頭デモ機で触り、手のひらの中で地球がぐるぐる周り指先でスムーズにズームしてゆくと、現在とはまだ比べるべくもないとはいえ、当時の感覚ではかなりの解像度の空中写真が見えることに驚いた。(僕の記憶では当時はまだ国土地理院の空中写真閲覧サイトも今のようなものではなく大した解像度で見ることも出来ないしDLも基本的に出来なかった)

元来、横着というか「しなくても良い苦労はしたくない」という殊勝さとスポ根力に欠ける僕はその時に思ったのだ。

「え〜なんか、(高解像度化が進めば)いつか現況測量とかちまちま結線するような作図しなくてよくなるんじゃないの、これ?GoogleEarthに公図とか測量図重ねたらいいじゃんか」

と。この理想(そう、横着もこのように表現すれば良いのだ)は後・・・といってもそれから10年も掛からなかった訳だが、技術の進歩により冒頭のスライドの中で言えば所謂ドローンによる現況計測が実現してくれることとなる。

ちなみに研修会の講師をさせて頂いたりしたときに、しばしば「業務をしながらよくこういうことを勉強したり研究する時間が」と言って頂くのだが、僕にとっては、究極的には業務だからこそ従来と同様もしくはより良い成果を横着して得たい。その為の執念が恐らく人に比べていくらか異常なだけだ。

特にここ数年子育てが始まってからのワークライフバランスの中で子供の為の時間が取ることにこの横着力は非常に寄与してくれている。

話が少し横道に逸れてしまったが・・・そもそも論として「公図がなんで白地に線だけで(一般に地図と言われる)地形図と重なってないのか?いやそれよりむしろGoogleEarthに重なってたら誰にだってわかり易くて最高なのに」という考えも当然(?)生まれる。

この理想(これは横着ではなかろうと自分では思っているのだが)に対する追求と興味がGISや、補助者時代に読んだ日本土地家屋調査士会連合会報(2007〜8年前後だろうか)でアンテナに引っかかっていた諸外国地籍やLADM(Land Administration Domain Model)とも繋がる。

幸か不幸かそういった妙な「素人感覚」がスレてしまわないまま土地家屋調査士になり、そこそこ事務所も落ち着いた開業3年目、その感覚や言い分を面白い、と買ってくれた業界の先輩によって日本土地家屋調査士会連合会の研究所へ誘われる。

そこで、こうした事は既に世界的には(僕のような人間でも思いつくくらいだから当然なわけだが)頭の良い方々によって考えられ整理されており(それがLADMだが)ニュージーランドなどではほとんど自分が理想として思い描いていたようなものが実装されていることを知るわけである。

このLand Information New Zealand Data Serviceで「NZ Property Titles」というデータ・セットを開けば日本でいえば公図に相当する(いやもっと便利な)データが閲覧でき、しかもそのデータをGoogleEarthやGIS、CADなどでそれぞれ展開可能な形式でダウンロードも出来る。

また、シンガポールは国家として既にそのときには3次元化しつつあったGoogleEarthのような地理空間情報基盤を整えようとしていることも知る機会を得たが、このシンガポールでも無論GoogleEarthで日本で公図に相当するものを閲覧できる地図(GIS)サイトがあるし

オープンデータサイトでGoogleEarth展開用のファイルをダウンロード出来るようにしてある。

表示登記のような制度≒地籍というのは社会と人間の作用によって生まれるものであって、「国家」と「国民」の関係として制度化されるわけだがその同じ国家が国民に対して提供する地籍情報の違いは何だろう?国民性やここに至る歴史的経緯も様々に関係するところであろうが、しかし「今」という時代で考えたときに日本はこれで良いのだろうか?

GISによるシームレスでユビキタス(死語か・・・)な地籍地図を見て知ってしまった後、日々の業務の中で「ここ別図かよ!」とか・・・「この公図の隣接の字はどこなの!?」と駆けずり回らねばならない(大袈裟?)ことへの納得の出来なさ。

海外の会議へ参加すると、諸外国の同業者が「日本の地籍図ってどんななの?」と興味津々に訊いてくることがあるのだが、「実は百数十年前の紙ベースの地図をまだ引きずっていて・・・再整備再測量(地籍調査とかね)したものもGISに載っているわけでもなく紙で提供されて」というような話をすると

「え、トヨタやソニーのような会社のある先進国の日本が?」

と(良くない意味で)毎回驚かれるのである。

これから先、土地家屋調査士という専門家がそんな風に公図や測量図が分かりにくくあることに依って立つような存在である期間が長くあってはならないだろう。

社会は変化するし、技術も進化する。情報化社会と言われてもうどのくらいになるかわからないが、情報流通の量が膨大になりスピードが早くなる中でこれらが混じり合い大きなうねりとなるのはあっという間である。

専門知識として必要とされる範囲が、社会科学、自然科学、人文科学の広くにまたがる土地家屋調査士が、最近の流行りで言えばSustainableなDevelopmentを果たす為のGoalsをどのように意識、設定して歩んでゆくか。まぁ究極的には士業はまだ個人事業的な側面がまだ強いのでその人次第ということにもなるのかもしれないが、ある程度共通した前提知識やコンセンサスもまた必要だろう。

そんな風なことを考えてきた末、GoogleEarthで公図や図面を重ねられるようになった(現在、実務ではQGISが殆どであるが)僕の解説スライドが冒頭なわけだが、そこまでの導入部やら、解説の後GISやらドローン、色々続いてしまう長いスライドは面倒やわぁ・・・という方は下のスライドが便利。(元も子もない)



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