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夜に鳴く鳥は鵺だけじゃない(エッセイ・鳥好きの無駄話④)


唐突な質問だが、読者のみなさんは「夜に鳴く鳥」と聞くと、どのようなイメージを抱くだろうか。

例えば仕事終わり、暗い夜道を歩いている最中どこからか鳥の鳴き声が聞こえてきたとき。あるいは夜中家で寝ている時、窓の外から鳥の声が聞こえたとき。

夜に鳴く鳥なんて不気味だな」「怖い」と思う人も多いのではないだろうか。

そういう人が多い、ということは、「夜に鳴く鳥」そのものが妖怪だと考えられていることから明らかだろう。その最たるものが、「鵺(ヌエ)」という妖怪だ。

『平家物語』の一節に源頼政が「鵺」という章があり、頼政が2度妖怪を退治した話が書かれている。

最初に倒した化け物は、黒雲を伴ってやってくる化け物で「頭は猿、体は狸、尾は蛇、手足は虎、鳴き声は鵺(トラツグミのこと)に似ている」という姿で描写されている。また2度目に倒したのは「不気味な声で鳴く怪鳥」とされ、その正体は「鵺」だったと書かれている。

鵺は様々な創作物で恐ろしい化け物として描かれているが、ビジュアルのインパクトが強いからか最初に倒した方の化け物(声が鵺に似ているだけで厳密にいえば鵺ではない)が「鵺」として描かれている。要するに「鵺」という妖怪は二つ書かれていた妖怪退治話が合体した形で今に伝わっているようだ。

↓原文


妖怪の名前や姿形が人々の間を伝わるうち変質していくことは「あるある」なのでなんとも思わないが、やはり可哀想(?)なのは「声が不気味」というだけで怪鳥と言われたり、挙句は「キメラ妖怪の正体」とレッテルを貼られたトラツグミだ。

というわけで、今日はトラツグミを始め夜に鳴く鳥について好き勝手書いていこうと思う。

先走って書くと、トラツグミが不気味な鳴き声で鳴く「鵺」と言われたのはトラツグミのせいではない。「夜に鳥が鳴くなんて不気味」というのは私たちがそう思うからだし、その恐怖心が「鵺」という妖怪を産んだのだろう。

また、「鳥が夜に鳴く」ということは珍しいことではない。私も今まで「鳥は昼間鳴くものだ」と思っていたが、野鳥観察を通じて身近な鳥の声に耳を澄ましてみてはじめて、そうではないと気づくことができた。

夜に鳥が鳴くのを怖いと感じることを否定したり、真実を暴くとかそういう意図ではない。その恐怖は自然な感情だし、その感情がなければ「鵺」という妖怪も生まれなかっただろう。

この記事が、せめてフィクションの妖怪「鵺」と現実にいる「トラツグミ」という鳥を分けて考え、両方を愛でる助けになれば、と思うだけだ。






トラツグミの名誉を回復しよう(実際、どんな鳥?)


トラツグミはスズメ目ヒタキ科の野鳥で、日本全国の山地の林にふつうに生息している。冬になると低地に渡ってきて公園などでも見ることができるので、ひょっとすると今ちょうどご近所の公園で見られるかもしれない。


公園で見かけたトラツグミ。お目目ぱっちりでかわいい。


写真を見ての通り、林に溶け込む地味な茶色の羽に丸い目がチャームポイントの可愛らしい小鳥だ。全然妖怪ではない。

また、トラツグミは「トラダンス」と称される珍妙な動きでも有名だ。頭と足を固定し、胴体だけをプルプル動かす動きだ。こんな愉快な動きをする鳥が妖怪なわけない。


さて、問題は鳴き声だ。日本野鳥の会のオンライン野鳥図鑑の、トラツグミの鳴き声を聞いてみてほしい。


↑野鳥の会の野鳥図鑑はこちら。この鳴き声は「さえずり(後述)」なので冬に聞くことはほぼない(ちなみにこの声の録音月は4月)。


いや………うーん……これ真っ暗な夜に聞こえてきたらちょっと怖いかもしれんな……

トラツグミの名誉のために言うと(?)ヒタキ科の鳥はか細く高い声で鳴く鳥が多い。今の時期住宅地でもよく見られるジョウビタキの鳴き声も、トラツグミほど長くはないが甲高くか細い(「ジョウビタキかと思ったら自転車が通っただけだった」というのはあるある)



だが、昼間どこかでジョウビタキが鳴いていたのを聞いても不気味とは思わないし、仮にトラツグミのような細く長い声だったとしてもそれは同じはずだ。

鳴き声自体というより、「鳥があまり鳴かない夜に聞こえてくる声」「暗い中声だけが聞こえる」という状況に依存した怖さ、とも言える。

ちなみにこのジョウビタキの鳴き声は「地鳴き」と呼ばれるいわば普段の話し声のようなものだが、トラツグミの「ヒョー、ヒョー」というのは「さえずり」と呼ばれる声で、異性へのアピールや縄張りの主張に使われる特別な鳴き方だ。

必死にアピールしてるだけで人を怖がらせようとしているわけではないから、怖がらないであげてほしい。


まとめるとこんな感じ


また、そもそもの話だが「鳥は明るいうちしか鳴かない」というのが割とわたしたちの思い込みという節がある。

確かに多くの昼行性の鳥は概ね日の出とともに鳴き始め、夕方にはねぐらに帰り、そこから鳴き声を聞かなくなる。だが、夏鳥は日の出前のまだ暗い時間が一番よくさえずっているし、渡ってきた初期には昼夜問わず鳴くこともある。

↑まだ暗いうちから鳴く鳥として百人一首にも出てきたホトトギス。

また、昼行性の鳥であってもなぜだか夜に鳴いている鳥に遭遇することはある。鳥の研究をしているわけではないので理由まではわからないが、鳥には鳥の事情がある、のかもしれない。

次からは、実際に私が遭遇した「夜に鳴く鳥」について書いていきたい。



夜に鳴く鳥①残業するイソヒヨドリ


わたしの職場の周りでは、イソヒヨドリをよく見かける。

イソヒヨドリはオスは青とオレンジの美しい羽を持ち、綺麗な声で鳴く小鳥だ。イソという名前だが近年内陸の市街地にも進出している、たくましい鳥だ。

イソヒヨドリは縄張り意識が強く、高いところを陣取って盛んにさえずる習性がある。少し小高い場所に位置している職場の建物の上や近くの電信柱に止まってさえずり、朝も昼も夕方も労働に疲れた社畜に美しい声を聴かせてくれる。

(時折、複数個体が喧嘩しているのを見かけるから、よっぽどいい具合のソングポストがあるのか……)

ある初夏の日、日が長くなったと言ってもその日は残業したのでもう外は真っ暗な午後7時になっていた。

死んだ魚の目をしながら建物の外に出た時ーーイソヒヨドリの美しい鳴き声が聞こえてきた。

いやまだ鳴いてんのかい。

先述の通り、夏鳥は渡ってきた当初昼夜問わず鳴くことがある。イソヒヨドリは留鳥(一年中いる鳥)または漂鳥(季節によって生息場所を変える鳥)だが、初夏といえば繁殖期が始まりたての時期だ。

繁殖のため弊社の近くにやってきたイソヒヨドリたちが、縄張りを主張するため張り切るあまり、夜になっても鳴き続けていたのかもしれない。

ちなみにイソヒヨドリは少なくとも6月頃までは暗くなっても鳴き続けていたが、真夏になるとそもそも姿を見なくなった。だが10月くらい(時期的には生息場所の移動の直前?)にまた現れ、その時も夜まで鳴き続けていた。

渡って来たばかりや旅立つ直前など、ここぞという時は昼も夜も関係なく鳴き続ける。鳥たちの行動は「日が出たら活動開始、日が沈んだら終わり」というようなシステマチックなものばかりではなく、もっと柔軟なのかもしれない。

http://yacho.org/cbird/pages/4_kazakiri/tanaka/tanaka68.htm
↑野鳥の会筑豊支部のホームページより。鳥の声を録音する方の視点から見た色々な野鳥がさえずる時間帯について書いてあり、とても興味深い。



夜に鳴く鳥②宵っぱりのアオサギの謎


わたしの実家では、秋から冬にかけて、夜に家でダラダラしていると窓の外から「ギャア」という恐竜のような不気味な声が聞こえてくることがある。

これは無論、鳥の声だ。恐竜のような声の正体は、アオサギという見た目も恐竜みたいなサギの仲間だ。


これは婚姻色バージョンのアオサギ(再掲)


実家の近所には用水路(というよりはドブ川)が通っている。全然水量のない小さい水路だが、魚や虫、ザリガニがいるためか、冬になると時々サギやカモが餌を探しにやってくる。鳴き声が聞こえるのは、ちょうどそのシーズンだ。

……ここでやはり気になるのがなぜ夜間、それも繁殖期でもなんでもない秋冬に鳴いているのかというところだ。だが正直なところよくわからない。

アオサギは基本的には昼行性の鳥だ。昼間実家の近所を散歩すると建物の屋根や小川などで餌を探すアオサギをよく見かける。「アオサギを議論するページ」によるとアオサギは夜間に活動できないこともなく、特に繁殖期は夜でも餌を採っているらしい。

↑アオサギを議論するページ。アオサギ関係のことを書く時はよく参考にしている。いつもお世話になっています。

ここからは実家近辺のアオサギを観察してみての所感なので根拠はあまりないが、餌があまり見つからない時、夜でもわざわざ用水路まで餌を探しにきている個体がいるのではないだろうか。

アオサギは留鳥だが、出没する場所は時期によって異なる。夏は水の張った田んぼでよく見かけるが、河原や水路にはいない。河原でよく見かけるのは春だ。そして冬場は、河原から用水路、鯉と亀しかいない小さな池まで、あらゆるところで見かける

アオサギの主食は魚だが、田んぼの水が干上がっている冬場は田んぼに行っても魚はいない。河原は魚が豊富にいるが、他の鳥も多く競争率が高い。

お腹を空かせたアオサギたちは、池の鯉を丸呑みにしたり、あまり大きな魚はいなさそうな水路にも遠征してお腹を満たしているのかもしれない。

本来は昼にしか鳴かないはずの鳥が鳴いているのは、その鳥なりの事情があってかもしれない、と思うと、不気味がっていた鳴き声も少し可愛らしいものに聞こえるかもしれない。




ここまで、夜に鳴く鳥たちに関して色々と書いてきた。

「鵺」という妖怪のなりたちを見ると、日の出とともに鳴きはじめる「鳥」の理から外れた「夜に不気味な声で鳴く鳥」が、次第におどろおどろしい「鵺」という妖怪に変わり、人々の中に定着していったのだなと感じる。

一方で、身近な鳥たちを観察してみると、わたしたちが思う何倍も柔軟で、またそれぞれ行動には個性がある。わたしたちが思う法則性から外れているように見えても、鳥はそれぞれ必死に生きているだけなのだ。

そういったことを頭の片隅においてフィクションとしての「怪鳥」を見ると、より違った視点で楽しめるのではないだろうか。


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創作妖怪で夜に鳴くアオサギとか作ろうかな(すでにジブリにやられた感はある)(とらつぐみ・鵺)