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心の声に忠実な感想『映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ』(ネタバレ有)


こんにちは、寒暖差でずっとうっすら体調が悪いとらつぐみです。地球、急に暑くなったり寒くなったりいい加減にしろ。

先日、『映画 すみっコぐらし ツギハギ工場のふしぎなコ』を見に行きました。

休日の朝早くに見たからというのもあるのか、劇場は小さい子供を連れた家族連れが多かったです(私の隣と前後も家族連れで挟まれてた)。

↑公式サイト


劇場にあったかわいいパネル


来場者特典はぺんぎん?の社員証


「すみっコぐらし」はsan−xのキャラクターで、映画は本作も含め3作目です。2作目に関しては以前このブログで感想を書きました。


すみっコぐらしのキャラクター(以下「すみっコ」)は、部屋のすみっこにいるのが大好きで、性格もちょっと後向きなキャラが多いです。

でも、後ろ向きだからこそ、寂しさや悲しみを抱えているコを放って置けない。1作目では「自分の居場所がわからない」ひよこ、2作目では「仲間に置いて行かれた」ドジっ子魔法使い、ふぁいぶとすみっコたちの心の交流が描かれていました。

では3作目は……という話なのですが語ろうと思うとめちゃくちゃネタバレになってしまう。というのも今作、先の展開が全然見えず、ずっと「どうなっちゃうんだろうな」という感じでした。

二転三転するストーリー、張り巡られた伏線。なんなんだこの映画は。面白すぎ。

……というわけで、今回はネタバレ有り鑑賞時の心の声そのままで、映画の感想を綴っていきたいと思います。もしまだ観てない人いたらこんな感想読んでないで今すぐ劇場行ってくれ。1作目も2作目も最高だから見てくれ。私の推しはとかげです。




「労働」に組み込まれていくすみっコたち



序盤のあらすじ:北から逃げてきたしろくま宛に、故郷のお母さんときょうだいから幼少時から大事にしているツギハギだらけのぬいぐるみが届く。でもそのぬいぐるみは、ペンギン(本物)が運んでいた途中でボタンが取れてしまっていた。ボタンを探しに森の奥へ入ったすみっコたちは、不思議なおもちゃ工場を見つけ、たった1人の従業員、くま工場長と出会い……

・しろくま、故郷に家族がいたんだ……離れて暮らすきょうだいのためにぬいぐるみを送るきょうだい。お母さんが何度も直してくれたぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて寝ると幼少期の思い出が夢で蘇ってくるのも、とてもいい。すでにしろくまの家族の話で涙腺緩んでるよ。

・おもちゃ工場の内装デザイン、「子供の夢が詰まった工場」って感じで、わくわくする。でも、働いているのが工場長しかいないの、不穏でしかない。一回入ったら出られない工場だったりします?

・って思ってたら次の日、すみっこの家に車で工場長が迎えに来たの、怖すぎて(心の中で)声出た。かわいい制服を用意して、不安そうなすみっコたちを「君には才能ある!」的な感じで褒めてくれて。知ってるこれブラック企業のやり口。

・工場、あんなに大層な機械あるのに、ぬいぐるみ作りは結構手作業多くて意外だった(その後機械は増える)と思ったら、刻印したおもちゃに命を吹き込む焼印!? 「奇妙」すぎるぞこの工場。

・今日一番作業を頑張ったすみっコ、「本日のMVP」を決めたり、社員食堂が豪華だったり。帰ろうと思ったら引き止められて、宿泊所に止まってまた翌朝から働き始めて……あーやばいですねこの職場は。

・朝のラジオ体操とか、壁に貼られた安全標語とか、「工場」の解像度が高すぎて怖い。労働を思い出して勝手に怯えてました。

・ぬいぐるみ以外にも、ロボットや着せ替え人形など色々作っている工場。ベルトコンベア上でテンポよくロボット組み立ててたらいつの間にかリズムに乗っている。既視感あると思ったらあれだ、リズム天国ゴールド



牙を剥く「工場」


中盤のあらすじ:すみっコたちという労働力(言い方)を経て出荷数を伸ばす工場。だが何やら焦っているくま工場長。生産数をどんどん増やそうとするが、すみっコたちは疲弊。とんかつがコピー機に巻き込まれたり(!)、ミニっコたちが出荷されたり(!)という労災が多発。出荷され外に出たミニっコたちは、街が工場から出荷された「命を得た」おもちゃで埋め尽くされていることに気づき……


資本主義の悪いとこ出てるよという感じの展開。
 働く人のキャパを考えずどんどん増産したらそうなりますよ。労働組合作って団体交渉しよう(その前に賃金もらおう)。


「ブラック工場のイラスト」©️いらすとや
※画像と本文の内容は関係ありません

・工場長、「どんどん作らなきゃ」という強迫観念に苛まれているな……まるで、「生産する」ことに囚われて、おもちゃを作るという使命をエネルギーに動くお化けみたい……

・と思ってたら工場長、ぬいぐるみだったの!?!? では一体、この工場を動かしているのは……

・ミニっコを助け出すため外に出ようとしたら、工場で動くロボットたちに阻まれる展開、怖すぎる。機械が暴走して牙を剥く、というのはSFとかの鉄板ではあるけど、子供向け映画でやっていい演出ではない(褒めてる)。

・そんな時編み出された、ロボットたちへの対抗策が「おもちゃのふりをして出荷されちゃおう!」なのも狂ってて好き。

・そして突然始まるカーチェイス。実は工場の建物そのものが意思を持っていて、巨大なアームを振り回しながら追いかけてくる。おもちゃの車と飛行機をトバしてギリギリでそれをかわして逃げるすみっコたち。別の映画始まったのかと思った。最高。

・工場から脱出する時、ツギハギの大事なぬいぐるみを忘れたことに気づいて戻るしろくま。しろくまの家にぬいぐるみがやってきた当初の記憶が蘇り、ツギハギのぬいぐるみが実はくま工場長=この工場で(かつて)作られていたぬいぐるみだとわかる演出、すごすぎ。

思い返すと確かにぬいぐるみからリボンっぽいのが外れるシーン、あったな……(震え声)


「ツギハギ」は友情の証



終盤のあらすじ:すみっコたちを追いかけた時、工場の中はぐちゃぐちゃに壊れ、おもちゃ工場は完全に止まってしまった。工場の中に取り残されたしろくまを探しに戻ったすみっコたちは、倉庫の奥にある謎の部屋から泣き声をが聞こえてくるのに気づき……


・壊れてしまった工場を見て、すみっコの脳裏に楽しくおもちゃを作っていた時の記憶が蘇ったというのが、とても辛い。おもちゃ作りが楽しい、もっとたくさん作ろう、という気持ちは、おそらく工場にもすみっコにもあったはずなのに、すみっコは逃げ出し、工場の中はぐちゃぐちゃに……

どうしてこうなった(全部資本主義のせい)。

・工場の倉庫の奥には、かつて、小さな工房だった時代の部屋や、当時の写真などが残されていた。でも、倉庫の中で材料の奥に埋もれ、鍵までかけられ、人目に触れることはなかった。

そのこと自体が、「ものづくりの喜び」というものを忘れて、おもちゃを作ることが目的化してしまった工場のあり方を表しているようで寂しい。

・おもちゃ工場として機能しなくなった工場は、1人涙を流していた。「古くて役に立たないから捨てられるんだ」と言いながら、植物に埋もれていく工場。

そんな工場にしろくまは、ツギハギになってもずっと大切にしているくまのぬいぐるみを見せ、「古くなってもずっと大切にしてるよ」と声をかける。

……こんなん泣いてしまいますよ。

タイトルに入っている、「ツギハギ工場」という言葉。最初は、「ツギハギっていうのはしろくまのぬいぐるみのことか」と思っていたけれど、実際はすみっコたちの「壊れても直してあげるよ、ずっとそばにいるよ」という思いが、自分の存在価値を見失い、ただモノを作ることに囚われていた工場を解放してあげたことを指しているのかもしれない。

・しろくまは結局、冒頭で無くしてしまったぬいぐるみのボタンは見つけられなかったけれど、工場が涙と一緒に落とした歯車をぬいぐるみに縫い付けた。工場はもう工場ではないけど、一緒に楽しくおもちゃを作った思い出を残すために。

何かを失っても、きっと前を向くことはできると勇気づけてくれる、暖かいエンドだった。

・エンドロールで、工場が「あるもの」へと変わったという後日談も、遊び心があって、すごくいいなと思った。劇場で観るからこその演出。(劇場にいた賑やかなちびっこたちは「?」という感じの反応だったけど……)

・あと、perfumeのエンディング曲「すみっコディスコ」、めちゃくちゃいい曲だった。機械音とポップな雰囲気と、寄り添うような歌詞。おもちゃ工場でのワクワク感と、すみっコたちの優しさ、両方表現されていてすごかった。

↑PVもめちゃめちゃかわいい


……と、ここまで、映画の感想を(観た時の心の声のままに)綴ってきました。

個人的には、すみっコぐらしの映画3作の中では一番好きな作品かもしれません。もし未鑑賞の人がいたら是非観てください。

ーー
親知らずが押してるからか最近歯茎が痛いです。抜歯は免れえないか……(とらつぐみ・鵺)