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秋祭と“鬼”ごっこ(連作小説:微と怪異⑥)


その日、N市の隣にあるI町では、甲高い横笛の音色と、太鼓の低い音が秋晴れの空に響いていた。

祭りの行列が通る路地は、メインストリートから一本外れた、古い家屋が残る通り。両脇の歩道は見物客でごった返している。

行列の先頭を歩くのは、ひょっとこの面をつけた男たち。笛や太鼓の音に合わせ、軽快な足取りで練り歩く。

その後ろに、厳つい鬼の面を被った男たちと、太鼓を載せた山車がぞろぞろと続く。鬼たちの足取りは、打って変わってどっしりと重い。

この「鬼」たちの行進が、このお祭りの目玉らしい。さらに向こうからは、賑やかな神輿の掛け声が聞こえる。

「お神輿はまああるけど、鬼の行進ってあるの珍しいね」
井城微いいきかすかは、隣にいる鳴子和冬なるこわふゆに声をかけた。今日は怪異の調査ではなく、久々にお祭りに行きたいという和冬に誘われてI町に来ている。

「あ、いや、神様とか、興味ないです。わたし仏教徒なんで。え、霊が憑いてる? ああ……この前職場の近くの寂れた神社にお参りしてから身体が何か重くて……」

和冬は、隣にいた男性に何かしらの勧誘を受けているようだった。微はため息をつくと、十年来の友達をその男性から引き離すと、コンビニの前まで連れて行く。

「ごめんねぇ、こんな時まで」

和冬はコンビニで買ったホットコーヒーを飲みながら、申し訳なさそうにそう言った。

ゆるいウェーブのかかった黒髪に、色の白い肌。話し方もおっとりしていて、いつも柔らかい雰囲気をまとう彼女は、変な人(や人以外のもの)を引きつける何かがあるのか、面倒に巻き込まれがちだ。

「デートしてたら相手がマルチ商法の話を始めたから助けて欲しいってファミレスに呼ばれたのに比べたら、全然。ここからでもお神輿見れるし」

「そんなこともあったね……でも微は、鬼の行進の方が気になってたでしょ」

和冬はそう言うと微笑んだ。昔からの友人で微の怪異好きを知っているのは、親友の和冬くらいだ。

「うん。いわゆる鬼の面とか以外にも、烏天狗っぽい姿の人とかもいて、すごいバラエティ豊かなのが面白いね」
「ね。でも例の疫病が流行る前は、もうちょっと行列も長かったんだけど……確か、小鬼の行列とかもあったなあ。小学生くらいの子がやってるんだけど、足運びがダンス?みたいな感じで」

「さっきのひょっとこみたいな、軽快な感じ?」
「そうそう」

例の疫病が流行っていた時、多くの祭りは中止や規模縮小を余儀なくされた。この祭りも例外ではない。今年は行列が復活したとはいえ、完全に今まで通りとはいかないらしい。

2人の前を、いくつかのお神輿が通り過ぎていく。神輿の賑やかな掛け声を聞きながら、小鬼たちの行列はこの雰囲気によく合っただろうな、と微は思った。


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いくつかのお神輿が通り過ぎたあと、列の後ろの方で拍子木がカン、カンと鳴った。休憩の合図らしい。歩道で行列を見ていた人も一部が移動し始めた。

「わたしたちも移動する? 反対側の方がよく見えるかも」
和冬に促されて、微は道の反対側に渡る。確かにこちら側の方が見物客が多い。カメラを持った大人、わたあめを手に持った子供、若いカップル。

「あ、そういえば、微が好きそうな怪異の噂、あるよ。小学生の時聞いた噂だから、今もあるのかわからないけど」
その言葉に、微は和冬に視線を戻した。

秋祭りの日、行列の外れで小鬼を見かけても、話しかけてはいけないって噂なんだけど」

「小鬼って、さっき言ってた行列の先頭を歩いてる小鬼?」
「たぶんそのことだと思う」

「話しかけると...…どうなるの?」
「お面を外して顔を見せてくれるけど、その顔が恐ろしくて。それを見ると自分も鬼になってしまう、だったかな。『神隠しにあう』っていうバージョンもあったかな」

「神隠しはともかく、自分も鬼になるって、何だろうね。同じ恐ろしい顔になるってこと?」
「さあ....…でも、神隠しはなんとなく、祭りで迷子になる子が多いからなんじゃないかって個人的には思ってる。毎年誰かは迷子になってたらしいから」

和冬は首を傾げた。

「実はわたしも、小学生くらいのころ、迷子になったことあるよ。しかも丸一日」

「え? 変な人についていっちゃったとか?」
「それが、よく覚えてないんだけど...…両親と朝からお祭りを見に行っててね。ちょうどこの辺りで見物してたら、いつの間にかわたしがいなくなったみたいで」

「でも夕方の、お祭りが終わる頃になって、金桂神社の近くで見つかったんだって』
「金桂神社?」

「ここから歩いて20分くらいのところで、お神輿と行列の終点になってるとこ。大人の足でも結構かかるのに、なんでそんなとこにいたのか不思議だったって、親は言ってた」

それでね、と和冬はいつもと変わらない、おっとりとした声で続けた。

「見つけてもらった時、屋台で買ってもらったお面を手に持って、『鬼ごっこしてた』って、言ってたんだって。『鬼になったけど、捕まえられなかった』って」



再び、拍子木が2回鳴った。神輿を地面に置いて水分をとっていた人たちが、持ち場に戻っていく。


「...…鬼ごっこ、か」
「誰と鬼ごっこしてたんだろうね。しかも、大人の足で20分くらいかかるところに行っちゃうほど、熱中してたってことでしょ?」

微は顎に手を当てて考え込んだ。

お神輿は、行列の後ろに行くにつれて、煌びやかな飾りのある立派なものになっていく。最後のお神輿の上には、金色の木の枝が飾り付けられていた。

お神輿が通り過ぎた後を、両手にチョコバナナと唐揚げの串を持った小学生くらいの子どもが走り抜けていく。和冬はそれを見て微の袖を引っ張った。

「わたしもお腹空いてきちゃったなあ。屋台見に行こうよ」
「え、ああ、うん」


見物していたところから5分ほど歩き、市役所の前の広い通りに出る。チョコバナナや唐揚げ、クレープといった屋台、役所や社協のブースまである。

「これまでは、さっき見物してた通りもずーっと屋台があったんだけど、やっぱりだいぶ減ったね」

和冬は、早速買った唐揚げ串をかじりながらそう言った。

「さっきの通り、結構狭かったけど、あそこにも屋台あったんだ」
「そう。それでお神輿とか通るの大変そうだったし、屋台の周りってゴミが散らかって片付け大変らしいから……でもあのカオスな感じがよかったんだけどなあ」

屋台の列はそこまで長くは続いていなかった。隅っこに1軒だけ、ひっそりとお面の屋台がある。キャラクターのお面に混ざって、鬼やひょっとこのお面も売っている。

「食べ物だけじゃなくて、当て物とか、こういうお面の屋台が3、4軒並んでたり。しかもキャラクターじゃなくて、こういう鬼とかひょっとこのお面が売ってるの」

「それは……人気だった?」
「鬼の行進見てかっこいいって思って買うお客が結構いたよ。わたしも買ってもらったし、道行く子供はだいたい持ってた」

和冬はそういうと、そのお面屋で鬼の面を買った。節分の豆まきセットについてくるような、ペラペラの、赤鬼の面だ。

「小さい頃の記憶の割には、色々覚えてるね」
「子供にとってのお祭りって、結局屋台が楽しみで来てるみたいなとこあるじゃない?」
「今もそうなんじゃないの? めちゃくちゃ浮かれてるけど」
「そんなことないよお」

そう言いながら、和冬は鬼の面を被ると、「どう?」と弾んだ声を出した。

「そういや、さっきの話なんだけどさ」
「うん?」
「例の噂、『小鬼を見かけても話しかけてはいけない。話しかけたら次はその人が鬼になる』っていう話」

和冬は顔につけたお面を外した。

「あくまで仮説だけど、憑き物に取り憑かれる、ってことなんじゃないかなって」

「憑き物?」
「狐憑きとか、化け猫が憑いたって、言うでしょ? ああいう現象ね」

「まずは『鬼』がーーこれも実際は怪異が取り憑いた子供なんだろうけど、子供を見つけて人通りのないところに誘い込んで、その子供に乗り移る。で、次はその子供が『鬼』になって、別の子供に乗り移る」

「ここは想像だけど、『お面の下の顔を見せる』っていう行動が乗り移るためのトリガーになってて、お面を買ってもらった子供に乗り移って、同じようにお面を外して見せる行動を繰り返してたんじゃないかな」

微の言葉に、和冬は手に持ったお面に視線を落とした。道ゆく子供皆お面を買っていたのなら、乗り移る相手はたくさんいただろう。

「……なるほど、憑き物のリレー、というかまさに『鬼ごっこ』だね」

でも、と和冬は続けた。

「祭りのたびに妖怪が子供に次々取り憑くようじゃ、毎年行方不明の子供が続出するんじゃない?」

「そこがたぶんミソで……祭りが終わる頃、本祭の行進が終わる頃になるとその鬼ごっこも『終わり』になるんじゃないかな。和冬が神社で見つかったみたいに、他の子を『捕まえられ』なくて最後まで鬼だった子供も、正気に戻る」

祭りの喧騒があるときだけの、一時的な集団幻覚みたいなものかな、という微に、和冬は感嘆の声を上げた。

「なるほど〜。迷子になってたときの記憶だけあんまりなかったのは、何かに取り憑かれてたってことなんだ」
「……この説明で、そんなに納得されても困るけどね」

和冬は微の言葉をきょとんとした顔で聞いていた。その横で、小学生くらいの兄弟がキャラクターのお面を買ってもらい、嬉しそうにしていた。

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屋台の列の端からしばらく歩いたところには神社があり、その境内には休憩所が設けられていた。

地図には「銀佳神社」と書いてあるその神社は、市街地を挟んで金佳神社のちょうど反対側にある。二つの神社を起点と終点として巡行しているのだろうか、と微は思った。

「お手洗い行ってくるね」というと和冬は、本殿の方へと歩いていった。

休憩所、とは書いてあるが、屋台もないこのあたりには見物客らしき人はあまりいない。祭りの参加者なのか法被を着た人が数人、ペットボトルのお茶を飲んでいるくらいだった。

微は本殿の方にぶらぶらと歩いていった。白い玉砂利が敷き詰められた境内はしんと静かだった。本殿の手前には拝殿があり、その両脇は木が生い茂っていて少し薄暗い。

建て替えたばかりなのか真新しい拝殿の前に立った時、後方から玉砂利を踏む足音がして、微は振り返った。

拝殿の左手にあるお手洗いから出てきた和冬が、休憩所とは反対方向ーー木の生い茂っている方へとふらふらと向かっていく。

「? どうしたんだろう」

和冬の視線の先、茂みの奥には小道が続いていて、突き当たりに稲荷神社があった。

その入り口近くに、着物を着た子供の後ろ姿らしき姿が見えた。和冬が声をかけ、振り返った子供の顔は、鬼の面で隠されていた。

それも屋台で売っているようなものではなく、行列の鬼がつけているような、古めかしいお面だった。

それに気づいた瞬間、微は走り出した。子供に近づこうとした和冬の肩をつかむ。

「あれ? 休憩所で待っててくれたらよかったのに」
「いや、そんなことよりその子は」

硬い表情でそう聞く微とは対照的に、和冬は緊張感のない声で答えた。
「ああ、さっき歩いてるところを見かけて、しんどそうだなと思って...…歩ける? あっちに休憩所あるから、そこで休もうっか」

稲荷神社から砂利道の方へ出てきた子供は、背丈からして小学校低学年くらいだろうか。息が荒く、足取りも覚束ない。和冬に手を引かれながら休憩所の方へと歩く途中、地面にへたり込んでしまった。

「おうい、どうしたんだその子は」
その時、さっき休憩所にいた法被を着た人たちが、座り込む子供を見て駆け寄ってきた。

「なんか体調が良くないみたいで」
「こんな暑苦しい格好してるからじゃないか? 面を外してやろう」

そういうと、微が止める間もなく、子供の顔から古めかしい鬼の面が外され、帯が緩められた。

面の下から見えた顔は、やはり小学校低学年くらいの少年のものだった。顔色は赤く、汗で前髪が肌に張り付いている。

「鬼の面被ると暑いからな。今日は風もあるし大丈夫だと思ったが」
「あれ、でも今年は小鬼の行列ってなかったんじゃないかね。どこの町の子だ?」
「お姉さん、あっちの自販機でスポーツドリンク売ってるから買ってきてあげて」
「わかりました」

和冬は休憩所の自販機の方へと駆け出していった。

法被を着た大人たちの動きは早かった。1人がスマホを取り出し、祭りの運営本部へ連絡し、もう1人がどこからか保冷剤を持ってくる。境内はにわかに騒がしくなった。

微はそっと少年に近づいた。

少年は、喧騒の中ではそばに寄らないと聞こえないくらい、掠れた小さな声で、うわごとのようにこう繰り返していた。

これじゃあ、交代できない......」


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その後、神社にいた少年は、祭りの警備をしていた警察官に保護された。

保護されてすぐ、何も言わずぼんやりしていた彼は、交番で休んでいるうちに意識がはっきりしてきて、無事に自分の家に帰ったそうだ。

来年以降、I町の祭りで小鬼の行列や屋台が例年通りの形で行われるかどうかはーーまだわからない。

ーー
お祭りの屋台は宝石すくいが好きでした。今もあるのかな(とらつぐみ・鵺)