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なぜ異文化コミュニケーションは難しいのか①

「外国人とコミュニケーションを取るために、英語を話せるようになりたい。アメリカの映画で俳優が話すように、カッコよく英語を話して、色々な国の文化を知りたい。」

中学生のときから英語がなまじ得意だった僕は、そんな憧れを持って特に英語の勉強には熱心に取り組みました。それから26歳に至るまで、この憧れとは真逆に英語を母語としない国を転々としてきましたが、英語を話せるようになること=外国人(異なる文化圏の人々)と意思疎通ができるようになるではなく、あくまでその一部であると気づきました。

正確に言うと、正確な認識の摺合せが求められる環境、特にビジネスの場面では英語力以上に目的・役割の共有がものを言う世界な気がしています。カジュアルなコミュニケーションよりも意思疎通のレベルがグッと上がるので、自分の認識と相手の認識を同じ土台に揃えないと、意思の疎通はできるが、細かいすれ違いが頻発します。

とはいえ、目的・役割の共有が重要なのはマネジメントの文脈において日本でも同じです。同じ人間である以上、エッセンスとなる部分は変わらないのですが、そこに異文化・異言語が入ると難易度が上がります。なので、今回はどんな背景でそれが起こっていて、どう対処すべきかをこれまでの自分の経験から記して行きたいと思います。

結論、起こっていることの本質を知る難易度が上がるので、言語・文化の構造を理解した上で意思疎通を図る必要のある相手と緻密に認識の土台を揃えるが今回のnoteで伝えたいことです。2本立てで考えており、1本目はまず難しさの背景や発生する要因、2本目はどうそれを対処すべきかを記していきます。

言語と文化の壁

異国で働く多くの場合は英語でコミュニケーションを取ることになります。日本人であれば、帰国子女でも無い限り双方、あるいはどちらかが英語が母語でないケースがほとんどです。母語同士でも伝えたいことが正しく伝わらないことは頻繁に起こりますが、非母語で言葉を交わすとなると、それが発生する頻度がより高くなります。

もう少し具体的に言うと、相手の発言を理解するための情報処理負荷が高くなるので、物事を整理して、現状を把握するのが難しくなります。これを引き起こしているのは、言語が変わることによる処理負荷の増加ものごとの捉え方の違いの2つです。

言語が変わることによる処理負荷の増加

今日、ミャンマー語のクラスを受けていて先生が休暇のときのことを話してくれました。この先生はとても流暢とは言えませんが、日本語を上手に話します。あまり良い休暇ではなかったとのことで、なぜかと聞いてみるとおじが亡くなったそう。だいたい、そのまま言ったことを書くと以下のような感じになります。

「おじは、身長がここ(腰の位置を指しながら)くらいまでしかないし、顔も、あまりよくなかったです。あと、お酒をよく飲んでいました。ミャンマー酒というのがあって、質のよくない米をつかったチャミスルみたいなもの。昔、ミャンマーではSIMカードを買うのに350万チャットかかりました。2012年くらいに120万チャットくらいになって、買える人が多くなって、おじもそのときに買って、市場に行って電話をかけていました。見せびらかしたくてかけていました。そのときは、SIMカード買えてもバンドルが買えない女の人がいて、買って〜と男の人にねだることが多いです。おじは、携帯で見つけた女の子とメッセージして、会うことになりましたが、見た目があまり良くないので、友達に頼んで代わりに会ってもらうことになりました。それで、そのまま友達とメッセージを送った女の子が付き合って、結婚しました。それで悲しくて、お酒をたくさん飲むようになって、体を壊してしまいました。」

僕は、「そんなことあるんだ…」と思い、この日電話していた日本の友達にこの話をしました。ところが、うまく説明できず、とにかく言葉につまりました。なぜうまく説明できないかと言うと、因果関係・話のつながりが全く自分の頭で整理されていないのです。

この話は文字だとまだ理解ができるかもしれませんが、話として聞くと、1つのシーンが出てきては別のシーンに移り、また別のシーンが出てきては次のシーンに移り…と場面の切り替わりが激しすぎて、なぜその話が出てくるのか?自分の理解のスピードが追いつかないのです。

たとえば、以下のような感じで説明されたらどうでしょうか。まだもう少しわかりやすくなるのではないかと思います。

おじは、生まれたときから体に障がいがあって、身長は私の腰くらいしかないし、顔も少し普通の人とは違っていました。お酒をたくさん飲みすぎて、そのせいで亡くなってしまったのだと思います。おじがたくさんお酒を飲むようになったきっかけは、昔オンラインで知り合った女の子を友だちに取られたせいです。ミャンマーは2012年頃から携帯が普及し始めて、みんなSIMカードを買えるようになりました。ただバンドルが買えない人もいて、特に女の人は男の人にバンドルをよくねだっていました。おじもその女性から頼まれて、実際に会うついでに買ってあげることにしました。ただ、おじは障がいがあって姿を見せたくなかったので、代わりに友達に頼んでいってもらいました。それで終わるはずが、その友達と女性がそのまま付き合って、結婚してしまいました。それが悲しくて、おじはお酒をたくさん飲むようになりました。

これが非母語でのコミュニケーションで起こることです。要するに、「ぶつ切りで情報が並び、何が言いたいのかよくわからない」状態が続きます。おそらく、文章を組み立てることに脳のリソースをほぼ集中させるので、思い浮かんだことをそのまま話してしまうのではないか?と思っています。「言いたいことを整理する」プロセスがすっぽり抜ける、もしくは、微妙に伝えたいニュアンスがズレるけれども、適切な表現が見当たらないから思い浮かんだもので伝える、この2つのどちらかが頻発するイメージです。

「これって、母語で話したとしても同じなんじゃないの?」と思う方もいるかもしれません。しかし、例えば「英語で昨日見た英語の感想を説明してください。」と突然聞かれた自分を想像してみてください。頭に思い浮かんだ映画の情景の中から、自分の知っている単語でそれをまずはなんとか伝えようとする圧力が働くはずです。言葉に詰まるのは気持ちが良くないですから。

しかしこの現象は、聞き手に大きな負荷を与えます。たとえば、下記の文章は、「障がい」という一言があるのとないのとで、意味を理解するかんたんさのハードルが全然違います。

「おじは、身長がここ(腰の位置を指しながら)くらいまでしかないし…」

「おじは、生まれたときから体に障がいがあって、身長は私の腰くらいしかないし…」

直感で思い浮かんだ具体イメージを聞き手に任せて処理するので、聞き手側に大きな負荷がかかります。「身長が腰までしか無い」を抽象化して、「障がい」に結びつけるステップがないと「身長が腰までしかないってどういうことだ?」となると思います。

なので、傾向として母語よりも聞き手に依存する話になってしまいやすいのではないか。これがまず言語面でのハードル、言語が変わることによる処理負荷の増加です。

ものごとの捉え方の違い

これは言語というよりも文化に依存するもので、文化の中でも特に権力体制の捉え方と、考え方として原理 or 応用どちらが中心かが意思疎通のしやすいさを左右します。

まず権力体制ですが、平等主義か、階層主義か、どちらかで分かれます。平等主義は西欧系に強く見られる考え方で、上下関係は薄く、個々が独立してリーダーシップを発揮します。逆に階層主義は、日本で生活をする私達にとっては身近なものですが、上意下達で物事が動き、基本的に上司の号令で物事が動きます。

次に原理 or 応用の考え方です。原理は、端的に言えば結論セカンド。応用は結論ファーストです。なぜものごとがそうなったのか前提があった上で結論を共有するか、結論があった上でなぜものごとがそうなったのかを話すか後外です。原理はイタリア、フランスなど、あとは「起承転結」という言葉もあるように日本を含む多くのアジア圏もおそらくこちらに属し、一方で応用はアメリカ、カナダなどが該当するそうです。
(*出典、異文化理解力 - 相手と自分の真意がわかる)

階層主義×原理優先の国の人たちと働くときには、情報がいい意味でも悪い意味でも加工されずにそのまま渡されることに注意しないといけません。

これはまさに先程のミャンマー語クラスの例そのままでもあるのですが、「報告してくれ」と伝えて内容を受け取ると、本当に現場で起こった内容を0から100までくまなく報告されることがよくあります。何が大事なポイントで何がそうでないのか、あるいはそもそも何の話をしているのかなんかよくわからない状態が続くのです。ツナ缶食べたいのに、マグロ一匹そのまま出されているような感じなので海に返したくなります。

しかし、これは話し手に問題があるというか、話し手の文化構造がそもそも西欧が発展させた資本主義というスタイルと真逆なので、そうならざるを得ないのです。権力構造が階層型の国では、上から言われたとおりに、役務を逸脱せずバケツリレー方式で仕事をこなしていくことが求められます。途中で水に絵の具を入れて青にしてみたり、塩を入れてみたりしてはだめなのです。

さらにこれに拍車をかけるのが原理優先です。結論よりも、なぜそれが起こったか?に重きを置くこの考え方は、物事の因果関係をとにかく重視します。しかし、前半で説明したように非母語だと説明する際にその因果関係がゆるくなりがちです。そうなるともう言うことがしっちゃかめっちゃかになってしまい、脳内がはてなで埋め尽くされてしまいます。

今僕が体感している範囲でしか無いですが、日本の会社で自分の価値観として育んだ「主体的でいること」「結論ファーストで話すこと」がどちらも良しとされない国にいる、それをまずは認識することが重要だったと思います。

少し長くなってしまったので、次回はこの背景があった上でどう対処するのが良いか?書いていきたいと思います。





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