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インターネットの普及によって世界の中心に自分が立てる様になった世界。誰かを守ることも、攻撃することも簡単にできる世界で強い自分を持つことよりも人に対しての思いやり、優しさを持つ方が絶対に必要だ。死という選択肢を取らなくていい世界を作っていく事は日本人いや人類にとっての最大の課題である。

暑くなったり涼しくなったり湿度がアホみたいにたかかったり、まるで爬虫類の様に気温の変化に対応できずに猛暑の到来に恐怖を感じているtakuyaです。

言葉は人を殺すことも、活かす事もできる諸刃の剣である。

最近、誹謗中傷で自殺するというニュースが続いている。
まさに今書いているこの文章が人を攻撃しているかもしれないし、攻撃していると思い過剰に反応してその人を袋叩きにする。
1番怖いのは正義感かもしれないな。
コイツは悪者だから攻撃してもいいんだってマインドになった瞬間それは物凄い結束力とパワーで全てを飲み込む。
大量発生するバッタみたいに何も無くなるまで食い尽くすように、正義の剣で滅多刺しにしている。
悪意が無いからタチが悪い。
しかも諸刃の剣だという感覚は自分は正義だと針が振り切った瞬間から、傷つけているのではなく鬼退治になるのだから傷付けば傷付くほど快楽にも似た満足感で満たされているのだろう。
書く事って言葉よりも相手の受け取り方が分かりづらいし、読まなきゃ別になんでもないって感覚がより過激な言葉が選ばれやすくなる。
悪い意味での承認欲求が余計に加速させていく。
オンラインのやり取りが全て悪いわけではない。
現実世界のようにきちんとしたコミュニティもそこには存在する。
カウンセリングもビジネスもそこには実在するが実態は見えない。
そして僕らはこれを現実世界の一部と受け入れて生活しなければならない、そしてオンライン化が本格化するとそれは会社の中でも同じようなに起こってくる。ただ会社にきて何をしているかわからなかった妖精さんは必要ないことが証明されるし、出来るやつの伸び率はあがる。
それがハッキリ出せない起業はアップデート出来ていないことを早々に認めた方がいい。
人が会社に属する時代から、会社が人にプラットフォームを提供する時代の到来だ。

自殺、安楽死、事故死、戦死、殉職、孤独死、、、僕らはいつかくる終わりに向かっているけれど死が選択にある時代は幸せと言えるのか?

生きるための死なのか、死のための生なのかっていうのは哲学者の間でも永遠のテーマだと思う。
僕は死は生きることの終着点ではあるが結果論であり、選択肢ではないと思っている。
しかし確実に世の中には死という選択肢があって残念なことに日々その選択を自身でとっている人がいる。
正直それが残念なことなのか、ある種自分のとりたい行動として認めるべきなのか、、、たまにわからなくなる。
出来ることならそんな選択をとらなくてもいい時代にしたいものだ。
これから人生100年時代で生きる時間軸は確実に伸びる、長く生きれるからって命が軽くなるわけぢゃない。

自分の書く、発信する文字や言葉には時に人に希望を、勇気を、夢を与えることもあるが時に絶望、疎外、批判、否定を与えてしまうこともある。
みんな何が正しいか模索していて、残念ながらそこに正解はない。
だから学び続けなければならない。


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