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「ここではないどこかへ」と「どこかではないここに」…。

まだ、成長過程であろうクラブを愛するものにとって幾多の出会いより、切ない別れが心に刻まれてしまうのは何故だろう。
「安定」という名の鎖に繋がれた妄想好きの社畜の僕が、プロフットボーラーの移籍の心境を考えてみても、どこか絵空事のようで今夜の酒の肴にもならない。でもちょっとほろ苦い今夜の一人の遅い食事に、ここ最近勝ち点3の味も思い出せない僕は、もう一品と酒の「あて」を探して必死に想いを巡らす。

たたでさえ短いプロフットボールの現役選手生活の中で、日々のトレーニングの披露の場が訪れないのはどんなに苦しい事なのだろうか。誰かがいう「何かが足りない」の答え合わせができぬまま、家路につく足取りはどんなに重いのだろうか。「チャンスは平等にある」なんて手垢のついた言葉なんて平々凡々な毎日を過ごす僕にだって本棚の片隅の埃のかっぶた誰も読まない小説の一説くらい陳腐な言葉だって事は知っている。誰よりも好きなはずの緑のピッチの上で、週末の試合に向けてのトレーニングが唯々毎日のカレンダーをめくる為のノルマなのかと疑心暗鬼になった時、 「ここではないどこかへ」と思うのはゴールを決めるよりも随分簡単だし、誰にも責められないはずだし。

ひるがえって「サポーター」と名乗るわがままな僕は移籍を決めた選手に「どこかではない、ここに」と駄々をこねてしまう。あなたの「どこか」と僕の「ここに」の相容れない感情がぶつかって、それが行ったり来たりして宙を彷徨って結局「クラブへの愛」とかいうこれまた陳腐な言葉になって僕の心に落とし前をつけてくる。そんな陳腐な言葉じゃやっぱり落とし前なんか全然つかなくて、落ち着きのない言葉の居場所は「ここでない」と旅立つあなた達にぶつけてしまう。「お前にはクラブへの愛はないのかと」…。

でも、選手より「だいぶ」年上の僕は今宵の巡りに廻った感情と、陳腐な言葉をぶつけた責任にになんとか自分で決着をつけようと「いいわけの言葉」を探す。

人生って「ここでは、”どこか”」と「どこかではない、”ここに”」の繰り返しなんじゃないか。

日々という重い鎖に繋がれてる僕にとっての「ここではない、どこか」は、あの緑のピッチで躍動する赤黒の選手の風景であったりドームの長い急な階段だったり、厚別のきまぐれな風だったりするんだ。年下のあなた達が「ここではなくどこかに」と思ったように、僕も次はいつスタジアムに行けるかと指折り数えている毎日なんだ。その日のために明日も「どこかではない、ここ」で生きて行く。だから僕にとってあなた達がいてほしいのは「どこかではないここ」なんだって。そういうふうに「ここでは、”どこか”」と「どこかではない、”ここに”」が行ったり来たりする日々の人生の中で改めて思う。だから赤黒のユニフォームに身を纏う”札幌の選手”は僕にとっての大事なモノなんだ、って。

いくら考えてもしっくりくる言い訳が見つからず、時計を見る。結局今宵の決着という僕の言葉も時計の針が日付を跨いだだおかげで、本棚の片隅で埃をかぶってしまった。昔から僕は「言葉」が感情に引っ張られるのが苦手だ。「感情」が先にあってその次に言葉がある方が性に合っている。そのお陰で言葉を紡ぐのに時間がかかる。
新しい土地に旅立つ赤黒の勇者たちにかける言葉はどんな言葉ががいいのかって決着を付けようとパソコンに向かってこの文章をかきながら長く長く感情と向き合って出てきた言葉は、結局、「行ってらっしゃい。また会おう」というまたまた陳腐な言葉だった…。






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