失敗と負債と経験

「平井さんにとって QOOLANDはどんなバンドでしたか?」というご質問があった。

一言で言うと「失敗」なのだが、「失敗する」ってじつは難しい。オマケにそう書くと誤解しか招かない気がする。

まず「挑戦」しないと「失敗」できないのだ。星の数ほどバンドがあるが、挑戦できているバントが果たしていくつあるだろうか。

さらに自分で「失敗だった」と認められるまでやりきれたバンド、カタチとしてもちゃんと終われたバンドはいくつあるのだろう。

生きていると「コレは失敗だ」と認めるのが怖くて、ズルズル負債を膨らましてしまうことがある。別れたい恋人と延々と付き合っていたり、辞めたい仕事を惰性で続けてしまったりするだろう。

「失敗」と認めれば「経験」という資産になる。だけど認められなければシンプルに「負債」に過ぎなくなる。

もうあの頃の負債は無い。

そして経験だけが残った。大変なことばかりだったし、思い返せば嬉しいことの方が少なかったとも思う。

だけどその苦労や経験が自分の厚みを作ってくれた。そうなれたのは周りのおかげである。

もしもあなたに「バンドやりたい」という気持ちがあるなら、やった方が得だと思ってしまう。

気持ちが音楽に向いているのならば、就職するよりも進学するよりも、いいキャリアになるのではないだろうか。

気持ちが向いている場所で思いきり生きるに越したことはない。

「そんなことしたら将来不安!」とか言っている場合ではない。そもそもみんな不安なのだ。

不安がっているまわりを安心させられるようなやつにならないといけない。

安定感は勤め先や学歴なんかで決まらない。

ネットの発達以来、僕たちは「身近な羨ましいもの」が目に入ってくることを防げなくなった。

そのせいで倒産の無い公務員をずっと続けることも相当な意志力がいるのだ。民間でバリバリ生きている人間を一度羨んだら、後は慣性の法則でズルズルいってしまう。いつのまにかサーファーかバックパッカーになっていることだろう。

安定感なんて、どれだけ主体的な考え方を持って、どれだけ灼けつきそうな場面をくぐってきたかだ。

ある程度の年齢になっているのに、肝が座っていない男がたまにいる。何を決めるにしても他者の顔色と意見が気になって足を踏み出せないクズだ。

先日も大手広告代理店に勤めるこういった男がいた。会ったのは僕ではなく仲間なのだが、まわりの友人より高い35万という月収を再三自慢していたそうだ。

気に食わない男だが、僕たちはこの男に一つ仕事を振ってみた。

すると数日後に頓挫してご破算となった。

理由は「親がダメっていうから」という衝撃的なものだった。

その後も彼はスケベ根性で「まずはスケールを小さくした仕事から始めたいから何か無い?」と提案してきたのだが絶縁した。

大手だろうが何だろうが関係ないことを再度認識する一件になった。

あんな風になってしまっては、男は終わりである。

いざというときに身動きが取れなくなるだろうし、これから家も結婚相手も車も親に相談しないと決められないのではないだろうか。

こうなると、たとえ大手に勤めていようが、公務員であろうが「安定している」とは言いがたい。いっときの職種や所得なんかよりも、もっと根本的なもので「安定」は決まる。

ただ、怖いのは自分もそうなっていた可能性があるということだ。

自分をそんなやつにしないでいてくれたのは「QOOLAND」という一つの環境があったからだ。あの厳しい環境があったからこそ、大抵のことでは動じなくなれた。

「苦労は買ってでもせよ」というフレーズには中指を立てたくなるが、実際にキツイキツイ!と泣いた夜が、今日の自分を救うのもまた事実である。というかそんな年寄りのほざいてきた格言が、腑に落ちがちな今日この頃である。



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