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スピードが遅いと成功義務感が増す話

くろいはなの映像をアップしている。

「味方をしてもらえるか」が力点のはなしだと思う。

してもらえたら、心から嬉しい。だけどそれは叶わない。

作った曲を断片的に聴かせても、仲間内で「そんなにいいと思わない」と言われるなんてザラだ。

事務所やレーベルに褒められたことなんてほとんど無い。「またクソみたいな曲作ってきたな」と言われたこともある。褒めベースではなくてクソベースなのだ。

「より良く」という、これまた大義名分のもとに起きる現象だろう。
「もっと良く」と発言すると「もっと良くなる」と考える思考の単一化が重症化した人間の末路だ。

当然だがコンテンツはそれでは良くならない。クオリティの向上をもたらすコーチングとは真逆だ。

「良いと思わないものを良いと言え」ということではないのだが、否定するアクションで、考えているフリをするひともいるということだ。

しかも「否定がベースの野郎」というのは組織の中に、それなりにいる。一般社会にもけっこうな数がいるし、感染もする。しかも悪意は無い。

人と力をあわせることはどうにも大変だ。

「結局、考えたってラチはあかないし、いきなり最大値の結果を狙っても仕方ない。最短距離を調べまくるよりも、とにかく走っちまう方がいい」が僕の基本思考なので、頭を抱えて「うーんうーん、どうしたらうまくいくだろうか」というのはあまり好きではない。

そんなもんやってみなきゃわからん。いきなりうまくいかなくても、走ってりゃなんとかなる。

先日もバンド活動のアドバイスをする仕事があった。最近多い。解散してから倍増している(takurooohirai@gmail.comまで)。

ガールズトークでもないので、「うんうん!わかる!たいへんだよね!」という返答はしていない。

先方もそんなフニャフニャアンサーを期待してもいないだろうし、なるべく具体的な施策を答えるようにしている。その方が嬉しいだろうから。

「これをやるとこうなる」という話をして終わる。

リリース、ツアー、所属、クラウドファンディング、ライブメイク、合宿、配信、オーディション、営業。

内容はそれぞれだが、どのプロモーションにも原因と結果がある。「こういう原因を作ると、こういう結果が起きることが考えられる」という話をぶん投げる。


もちろん僕が言ったことが正解というわけではない、もちろん不正解というわけでもない。

選ぶのは本人だ。魂が呼応する活動が一番だと思う。

活動の中身なんて「これならいけんじゃね!?」や「面白くね!?」という盛り上がりで決める方がいい。どれがうまくいくかなんて、やってみないとわからない。


Tobariの無料配信だって配信6日前に決めた。
「あ、やりたい」とやりたくなってしまったので、止まらなかった。ちゃんとニュースとかになってよかった。

だけど、なんだってそうだ。

やりたいならばもちろんやればいいし、やりたくないならばやらない方がいい。助けられることは助けるし、それでも結局やるのはそのひと自身だ。

しかし、こういった相談事はまずその場では決まらない。


基本的に「いったんメンバーと相談する」というところに着地する。

いろんなひとと話すのは好きなので、僕もあちこちに出向くのだが、何かが「決定」したことはほぼ無い。

決裁権が一人に委ねられている組織の方が少ないからだろう。ほとんどが「コンセンサスをキッチリしながら」という隊列を組んでいるのだ。

もちろんいい悪いでもないので、「相談」に着地が悪いわけではない。

ただ、今現在の僕が自由化された決裁に、メリットをすさまじく感じてしまっているからだろう。


気になる。

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