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このままじゃヤバイぞ!への対処法

たまに「僕も教師とか嫌いなんすよ!死にたいんす!」と勘違いしたDMが来る。キモイ。悪いが引く。

「死にたい」は分かる。死去欲求はおそらく人間の本能だ。個である前に種である前提によるものなのか、「連続」よりも、「不連続」の方が進化としては優勢だからなのかは分からない。

でもまぁ、とにかくひとは死にたいものだ。こんなことは当然だ。ヤリたい、寝たい、食いたい、死にたいのだ。

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僕も首都高を130kmで滑走していると、カーブのとき壁めがけて砕けたくなる日はある。

交通事故なら自殺ほど重たくなく、サッパリとこの世から消えられる。消失すればなんだっていいのならば、事故に限る。

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ただ、誰かを恨んで死のうとするのは意味が分からない。

DMの馬鹿もそうだが、死去は復讐にはならない。半年もすれば、その人間が死んだことなど関係なく、コロナ過のように日々は元通りになる。

カタチを変えて物事は流れるのだ。

ドラゴンボールやこち亀が終わってもジャンプは続いたし、SMAPが居なくなってもジャニーズ事務所は失くならない。イチローが野球を辞めても新たにバットを握る子どもは出現する。

勘違いされがちだが、別に僕は誰も恨んじゃいない。

もちろん年上に褒められるような馬鹿にはなりたくなかった。でも誰も恨んじゃいない。

今も感謝こそすれ、誰も恨んじゃいない。

中高のときから酒や薬で遊んでいたのは別にグレてるわけではなかった。何もかもに逆らったが、グレてなんかいない。ただ、「このままじゃいけない」と思っただけだ。

馬鹿なりにそれなりにちゃんと考えていたのだ。

「このままじゃヤバイぞ」と不安にさせられてきたのも事実だ。先生にも親にも、レコード会社にも、果てはライブハウスにも、ファンにも、世の中のほとんどの人間に「このままじゃヤバイ」と言われてきた。

今も変わらない。

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僕はずっと「このままじゃヤバイ」と言われている。自分でも思う。思うが慣れてしまったのだ。さらに言うなら「ヤバイから何だというのだ!」という開き直りで来ている。

結局のところ「このままじゃヤバイぞ」という言葉は生きていく上で、まったく大切な言葉ではない。

これは実際の人生が変数まみれという観点から見れば客観的な事実だ。経済学は結果論に過ぎず、ナマの戦はもっとハートで動いてしまうものだ。

もっともっと大切な言葉がある。

ひとそれぞれだが、何事も「ここから先は通さない。理屈も法律も通さない。家族も恋人も友達も一歩も通さない」という自分の城を作ることだ。

柔軟性に欠けるようにも思うが、それぐらいでちょうどいい。「このままじゃヤバイぞ」に僕たちは立ち向かっていかないといけないのだから。


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