バーにいた変な子持ちの女の話

実社会では分かりやすいこと、明確であることが求められるらしい。

それでも言い切れるのは、世の中には曖昧さを持ってしか話せないようなこともあるということだ。

そしてその中にこそ、本当に大事なものがあるんじゃないだろうか。

あの頃、そんな曖昧さを求めて逃げ込む場所があった。

商店街の中にある小さなバーだった。

ジャックジョンソンがいつまでも流れていて、マスターは無口だったが、綺麗な店だった。

明け方まで飲める店は少なかったせいもあって、僕はよくここに通っていた。

この店で仲良くなったひとがいた。

中学二年生の息子がいるのに、いつも朝まで飲んでいるひとだった。

酔いがまわると、変わった言葉を使うひとだった。

よく「死にたくなくなりたいね」と言っていた。

分かりづらい言葉だった。センテンスもややこしいし、なんでそんなことを言うのかも知らない。

感嘆文なのか疑問文なのかもハッキリしない。でも僕は彼女がどこに行きたいか、どうしたいのか、なんとなく分かるような気がした。

人の親なのに、限界まで飲んでいたり、いい歳なのに変なことばかり言っていたりと、一般的に見れば、堕落したひとだったのだろう。

だけど、僕はそのひとの話を聞くのが好きだった。

「人の親」とか「年齢」といった道徳観、倫理観のカタマリのようなアイテムを携えているのに、思春期の少女みたいにもがく姿は、新鮮だった。

あの夜、僕はずっと飲んでいた。

ひとりで日本酒を開けて、気がつくと朝焼けが東の空ににじむように広がっていた。それなのに全然飲み足りなかった。もっと飲まないといけなかった。居場所を求めるように、僕はバーの扉を開けた。

「テツさんは顔がいいからいいよね」

客は彼女ひとりだけだった。バーカウンターの真ん中で、彼女はロックグラスを傾けていた。

意味の分からない日本語に、街中ではかからない洋楽、話を聞いているのかさえ分からないマスター。

扉の外と中で、世界は完全に遮断されていた。外の世界で通用しないものがすし詰めにされているみたいだった。

「ビールください」

テツさんはチラリとだけ僕を見ると、無言でビールグラスを用意し始めた。ハイネケンのサーバーから泡が注がれていく。

出来上がるのを待っていると、彼女が話しかけてきた。

「ねぇねぇ今いくつなん?いくつになりたいん?」

何度も会っているのに、なぜか知らないひとのように話しかけてくる。

このひとと会うとセーブのできないロールプレイングゲームをやっている感覚に陥る。

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