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上京するバンドマンが後を絶たないのはここが地獄だから

神戸KINGS Xで先輩にひとを紹介された。TOKYOで勝負したいという27歳のバンドマンだった。

初対面だったが僕と出身県が同じ。後輩とも言える。昨今珍しいおもっくそバンドをやっている男だそうだ。

「上京するのかぁぁ」という話を軽くさせてもらった。

僕が上京したのは23歳。 彼と同い年の頃何してたんだろうと振り返ると、27歳のタイミングはデビューの年だ。

つまり4年ぐらいかけて「上京」という環境を活かしたパターンにあたる。

6枚のタイトルをリリースして、フェスもいっぱい出て、死ぬほど働きまくった年だ。曲を書きまくったおかげで翌年の28歳の年は数百万レベルの印税収入になった。

「あの年かぁ」と思ったし、音楽で勝負をかけるならベストの年齢な気もする。

そしてここで出てこなかったら「もうずっと地元コース」になる確率もグンと上がる。

もちろん地元に残って悪いことはない。 何なら残ったほうがバンド活動がうまくいっているパターンは多い。 むしろ東京に行くメリットなんてあんまり無い。そこに首都があるだけだ。

僕の場合、「上京しようと思うてますねん」という旨を伝えたらすべてのひとに止められた。

「まだそんなレベルじゃない」 「神戸にいたほうがカミングコーベとかも出やすい」 「東京からいいツアーバンドが来たときに対バンできる。そのバンドと東京でやれるか?」

など合理の渦に窒息しそうになった。

ありがたい話だったが、右から左に通り抜けて上京した。そして一年程度で解散した。 地元では「ほら言ったやろがい!」と思われたことだろう。

僕も当時のバンドのことを考えると神戸に残っていたほうが存命していたと思う。地方から発信していったほうが有利なことも多い。

でも僕は引っ越して良かったと思うのだ。

振り返ると「上京」はあのときの僕のバンドの悪癖だったり環境をブッ壊すための装置だったのだ。「東京まで出てきて意識変わんなかったらダメだろう…」と言ったような退廃的な特攻精神とエネルギーを費やして死んだ。

そのおかげで上京してすぐに解散したから次のバンドQOOLANDも作ることができた。そして今まで僕が積み重ねてきたことは地元に残ったままだと何一つできなかったと思う。

バンドという集団の生命維持において上京は諸刃の剣だ。 何ならほとんどの友人が上京した直後に何かしらの壊滅的ダメージを負った。失踪者も何人も思い浮かぶ。

しかしその個人個人にフォーカスを当てると悪いことばかりじゃない。

今週は地元に帰ってライブをしたけれど、やはり地元は温かい。このぬくもりは東京にないものだと実感した。

ここまで書いてきて思ったのは上京デメリットはかなり多い。夢も希望もないぜ!とは言わないが。

じゃあなんで定期的に東京に出ようとする人々が出現するのか。

地元の温かさはないけれど、東京に何があるのだろうかと聞かれたら「ギラギラした大都会の中に俺はいるのだという感覚と灼熱感」だ。

これだ。これに虫のように惹きつけられて僕たちはその灯りに焼かれて悶えている。

昨日、あたたかな神戸から帰ってきて、なんだか東京を味わいたくなった。

渋谷、六本木、大手町、新宿のあたりを車で走ることにした。ビルに挟まれてアクセルを踏んでいるうちに日付が3月30日になった。 窓から見える病的にデカイ建物、その建物自体に映像が映し出されている、近くには東京タワーが赤く濡れていて、路地には爆笑しているツーブロックの集団。女が泣いていて、男はそれにキレている。その数メートル先では黒人が酔っ払いに声をかけていて、何層にも重なるタクシーのクラクションが絶叫している。

街自体が笑っているようにも泣いているようでもある。

「地元が東京だよん」なんてひとはめったにいない。 この街は上京して痛い目にあった人々の断末魔でできている。

偉くなるために来た。 気持ちよくなるために来た。 何者かになるために来た。

なれなかったり、カスったりしたり、なれたと思ったら何一つ残っていなかったり、コンビニ感覚で愛が売買されていることに疲れきって、みんなサウナに溶けていく。

引きで見るとまぶしいけれど、ズームにするとほぼ地獄と変わらない。

僕は天国より地獄のほうが性に合っているので東京に来て良かった。この灼熱感を楽しんでいきたい。 そしてスパイシーな環境だからこそ出会えたひとたちがより大事に感じるのかもしれない。

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