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宗教おばさん!

僕が小学生の頃、『宗教おばさん』と呼ばれる人がいた。

宗教おばさんは、月曜日だけやってくる。
宗教おばさんは、学校が終わる時間になると、校門に立っている。

大量の配布チラシを持って、校門に佇むおばさんは、週明けのシンボルだった。

上から下まで、全身真っ白の服を着ているのが、印象的だった。

宗教おばさんという名だが、強引に勧誘もしない。
そもそも勧誘の人だったのか何なのかは、今も分からない。

もしかしたらチラシを通じて、自分が信じているありがたい話を、人に伝えたかっただけなのかもしれない。

下校のチャイムが鳴り、校舎から次々と子どもが出てくる。
子どもたちにおばさんはチラシを渡していく。

チラシには「信じないと地獄に堕ちる」だの「苦行に耐えたら、極楽にいける」といった、いろんな宗教を交配させたハイブリットな話が書かれていた。

『A子さんは神様を信じていて、いつも勉強をしていたので、死んでからしあわせになりました。
B子さんは信じていませんでした。いつもサボっていたので、死んでから地獄に堕ちました。
オマケに、生まれ変わって苦しい現世に戻ってきて、大変な思いをしないといけませんでした。おしまい』

だいたい、このような旨のお話が、いつも書かれていた。

その都度、内容はコロコロ変わっていて、言ってることもコロコロ変わった。だが、僕はおばさんの持ってくる話が、わりと好きだった。

なんなら宗教おばさんとも、少し口をきくぐらいは仲が良かった。

話してみると、おばさんはいたって普通の人だった。
狂っているわけでもなく、トランスしているわけでもない。こういう表現が合っているか分からないけど、ごくごく一般的なお母さんのような人だった。

「このリンゴを食べたら、なんで楽園から追い出されたの?」

「禁断の果実だからよ。人を殺したら、捕まって、刑務所に入るでしょ? 自由が無くなる。つまり楽園が無くなる。それとおんなじ」

そんな分かるような分からないような、絶妙な理屈が、僕は好きだった。

おばさんがいる日は、ひとことふたことだけど、話すのが楽しみになってきていた。 

おばさんは、みんなに変人扱いされていた。

たしかに少し変わってはいるけど、それでも僕にはおばさんが悪人には思えなかった。


ある月曜のことだった。
下校時刻になり、僕は教室を出た。
階段を降りて、校門に向かう。

おばさんがいた。
今日はどんな話をしてくれるんだろうと、ワクワクしていた。

全身真っ白な服に、大量のA5サイズのチラシ。それはいつもと同じだった。

ただ、いつもと少し様子がちがう。
遠目に、人間が二人いるのが分かった。

おばさんが、なにやら先生と話していた。

その先生は6年生の受け持ちだったけど、低学年の僕でも知っていた。

言うなれば「学校で有名な」先生だった。

どこの学校にもいると思う。

他学年にも、その名を轟かせる人物だ。
学校全体の集会や、何かの全体行事のとき、いつも仕切りをやるような、声と身体と態度の大きい、リーダシップの強い、そういうタイプの先生だ。

そういう先生はなぜか、最高学年である6年生を統括することが多い。
国連でも、超大国アメリカがパワーと発言力を持つのと同じ理屈だろうか。

そのアメリカ大統領のような先生に、おばさんは、何やら怒られているように見えた。

僕はその大統領先生が怖かった。
話したことはなかったが、全体の集会や運動会の予行練習などで、怒り狂う姿が目に焼きついていた。

怒鳴って殴って、言うことを聞かせる。

そんな最後の手段を、手軽に最初に選びとるその先生は、僕にとって恐怖の対象だった。

身体も小さく虚弱だった僕には、ただただ怖い人物だった。

校門を通りたくなくて、僕は裏から出ることにした。裏門からの下校は、禁止されているが、あの先生に接近するよりは、安全だと思った。

家に帰っても、ふたりのシルエットが頭から離れなかった。
腕を組んでふんぞりかえった大統領と、首を曲げて小さくなっているおばさんは、社会の授業で習った、17世紀の白人と黒人みたいだった。


次の日、全体の集会が開かれた。

僕は直感的に、宗教おばさんに関する集会だと思った。

全体集会というものは、定例のものではなく、臨時が多かった。

1学年200人弱の小学校だったので、1000人以上の、生徒がグラウンドに集まる。なかなかの人数感だ。

その人数と「臨時」という性質のせいか、僕たち生徒は、少しお祭り気分になる。
授業が臨時で潰れるのも、嬉しかった。

集まってしばらくすると、いつもどおり、あの6年生の大統領先生が前に出てくる。威圧するように、しばらく僕たちをにらみつける。

なんとなく、だんだんみんなが私語をやめだす。ザワザワとした何声もの音が、フェードアウトする。

先生が口を開いた。

「静かになるまで、5分かかった」

いつもの、低い声だった。

「まず1年生。お前らはまぁいい。次、2年生。1年生よりは、静かになる時間が早かった。さすがや。3年生、お前らは・・・」

ドスのきいた、威圧感のある声が、マイクを通して、静寂のグラウンドに響きわたる。

「静かになるまで」の時間が短いほど優秀で、年長者になるほど、上級の「静かになるまで」を求められる。
 
評価査定が4年生まで、終わったところで、大統領は数秒、無言になった。

「おい5年と6年!お前らどないなってんねん!」

急に大きい声がして、僕たちはビクッとする。

「5年のやつらは来年、最高学年!6年なんか来年、中学生やぞ!その自覚ないんか!」

先生は、形相と怒気をはらんだ声をマイクにぶつけていた。その強烈な声が、ガンガン臓物に響く。 
聞いているだけで、人間の持つ動物的本能が震え上がる、落雷のような声だった。

【年長者こそ、静かになる質を上げるべきである。それができないと進級の自覚が無い。よって怒鳴る】

今思うと、理解に苦しむロジックなのだが、あのときは完全に洗脳されていた。

しかし、無理もない。まだ未発達の子どもだ。

成人でも、静と動の緊張を利用した、マインドコントロールから逃れるのは難しいという。北九州の事件やカルト教団の事件も、被害者(実行者)は大人だ。

5,6年生の先輩たちは、恫喝を受け続けていた。

人間の心を折りたければ、恥をかかせるのが一番だ。彼はそれを、よく心得ていた。

全校生徒の前で恥をかかす。
自我の最も強い高学年を掌握するのに、あの先生は、いつもそのやり方を使っていた。

「恥をかかせる」という心の暴力は本当に痛烈だ。イジメの力学も、ここに集約されている。どれだけ、効率的にターゲットの自尊心を奪えるかの、悪趣味な競技だ。

僕はできる限り、あのやり方を使わずに生きたいと思っている。あのやり方から遠いところにいたい。そして、あのやり方を悪用する人を、今も軽蔑している。


次第に、6年生に向けてだけの話になった。
『中学生になったらもう大人だし、甘くない』の話だった。長い、長い恫喝だった。20分ほどして、嵐はやんだ。

その話の後に、おばさんの話があった。

「校門に立って、チラシを配ってるおばさんがおる……これ、知ってるもん、手挙げろ」

ほとんど全校生徒の手が挙がる。宗教おばさんを知らない生徒なんていなかった。

「もらったことあるもん、そのままにしろ。もらったことないもんは手、下げてええ」と先生は言った。

集会での挙手制というシステムは、不思議な魔力がある。
その手の先に「自分」がいるような、舞台に引っ張りあげられるような感覚を覚える。
自分の中の客観性が、取り除かれてしまうみたいだ。

最初に大声で動揺を誘い、正常な判断を奪ってから「挙手」という形をとられた僕たちは、完全に平常心を奪われていた。

僕たちは、手を挙げたままにすればいいのか、下げればいいのかが分からなかった。

もちろん、自分がチラシをもらったことがあるかないかは、分かる。記憶をはき違えていなければ。

ただ、僕たちの頭にあったのは、「目の前の脅威となる男を怒らせないためにはどうすればいいか」だけだった。

「ウソをつく」が怒りを買うのか、「チラシをもらったことがある」が怒りを買うのかが、分からなかった。
僕たちはとにかく先生を怒らせないように、努めていた。

あのときの行動の基準は、完全に洗脳状態が進んだ、何かの被験者そのものだった。

挙げているのか下げているのか、分からない高さの手が、グラウンドに並んだ。
少しザワザワと声がした。

「まぁ、ええ。アレはやったらアカン。チラシを配るとゴミも出るし、ルールがある。あの人が、配ってても絶対もらうな」
それだけを告げ、その日の集会は終わった。ホッとした。

次の週、校門に宗教おばさんがいた。

おばさんはチラシを拾っていた。無数のチラシが破られていた。

おばさんからチラシをもらって、おばさんの目の前で破る生徒がいた。
その日は、それが一種のゲームになっているらしかった。度胸試しだ。

『この学校で最も権力のある人間が否定したおばさんのことは、踏みにじってもいい』という理屈ができていた。
人に恥をかかせれば、心を折れるという、手軽だが凶悪なノウハウが、次世代にしっかりと受け継がれていた。

破れたチラシを拾うおばさんが悲しいのか、苦しいのか僕の目からは分からなかった。

だけど、自分が配っているものを破られて、楽しいはずがない。嫌なはずがない。

僕は足下にあった、チラシの切れ端を拾った。

チラシを拾うなとは言われなかったから、セーフだと思う。

「集会で、それもらうなって言われたから、たぶんもう来ない方がいいよ」と、おばさんにチラシを渡して、僕は言った。

もうあんまり、おばさんがチラシを拾うところは見たくなかった。
なんだか分からないけど、嫌だった。
本来、痛覚の無い場所が痛むような、気分が沈む映像だった。

「ありがとう。でもね。これは前世の罪が返ってきてるだけなの。だから大丈夫」

おばさんは、そんなふうなことを言っていた。

宗教のことや、その考え方は、僕には分からなかった。前世の罪とか言われても、心当たりがないじゃないかと思った。
仮に罪があるからといって、そんな仕打ちを受ける必要があるんだろうか。

でも、おばさんは本当にそう思っているように見えた。

納得したわけじゃないけど、9歳の僕はもう一枚だけ、切れ端を拾うことにした。


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