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退職予定の採用担当

ロジカルに説明する余地もない、矛盾に満ちた人間の言動が大好きだ。
例えば友人のこんなケース。

「採用担当をしているのだが、転職することが決まっている」

これなんて圧倒的な矛盾感に包まれている。
弊社の強みは〇〇で今後の成長は間違いないでしょう(来月辞めるけど)。社内の人間関係は良く、勤続年数も平均に比べると長いというデータがあります(来月辞めるけど)。
内定者懇親会を実施いたしますのでぜひご参加ください(その頃には俺いないけど)。

「貴方の経験を存分に弊社で発揮していただきたいと思いますので採用いたします」
「ありがとうございます。来月からよろしくお願いいたします」
「私は今日までです」
「え?」
「貴方は私のポストです」
「え」

なんてこともありうる。カオスだ。静かなカオスだ。
その友人は無事に会社を辞め、北海道へ移住し、観光業で起業を企んでいる。雪の上にサウナを作りたいらしい。「寒い×暑い」、やはりこれもまた矛盾の世界の渦の中にある。

こんな一撃もある。

「私だって好きでいじられキャラやってるわけじゃない」

これは僕の知人がツイッターに残していたフレーズだ。僕レベルになると、肌感覚でこの言葉が持つ気味悪さを感じてしまう。
まず、いじられキャラというのは、
①自然とそう位置付けられるのであって、
②自分がいじられていることに鈍感
この2点はマストだ。
「あ、こいついじったらダメなやつだ」というのも周りは何となく察知する。
よってこの人は「いじられキャラ」ではない。どこか不本意な態度が絶対に出ている。しかし、「いじられキャラではない自分」なのに「いじられ引退を希望している」。この、永遠に答えにたどり着くことがないジレンマを、おもしろいと思うのは果たして僕だけだろうか。

こんなのもある。

これは僕のツイートからの抜粋だ。
「安い鰻丼」、しかしこれは牛丼チェーン店の中では決して安くない。すき家でうな牛丼をオーダーしている人を見ると、一瞬「おー!」となるが、「いや、ちょっと待てよ」と考えさせられる。やっていることがむちゃくちゃ中途半端だ。矢沢永吉が見たらブチキレるだろう。
しかし、その人にもその人なりの「すき家でウナ牛丼を食べるまで」の葛藤やストーリーがあることを忘れてはいけない。

生活保護受給者の鈴木晴夫(仮)。今日は待ちに待った月に一度の受給日。うつ病だと言い張り続け、定期的にやってくるケースワーカーの説得にも負けず、毎日テレビを見るだけのダラダラとした生活を続け早5年。毎日、いつも同じ。しかし受給日だけはいつもと少し異なる。役所でお金を受け取ったその足ですき家へ行くのだ。それが晴夫にとって月にたった1度の贅沢。
メニューが豊富で知られるすき家。今日は何にしようかと精選する中であるメニューに目が止まる。鰻だ。今は絶縁してしまった元妻と息子と3人で、東京旅行の時に食べたあの鰻の味。二人とも、元気でやってるか。
晴夫は店員を呼ぶ。かすれた声でこう言った。「うな牛丼を、単品で」
隣に座っていた若者が、晴夫を一瞥したがそんな視線など、晴夫にとっては何処吹く風。生活は今月もまた苦しくなる。

P.S.
大分県佐伯市に行ってきました。
大学の先輩が地元に帰って町おこし事業をしていて、どんなところか気になったので。

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アウトドアとは無縁な僕も佐伯マジックにかかればこんな笑顔を見せてしまう。食べ物は美味しい。町の人は優しいしで、最高な場所でした。

サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。