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撮ることは人生に出会いをもたらすことだよね、という写真好き編集者の話 #写真が好き

この文章は、OMデジタルソリューションズとnoteで開催するコラボ特集の寄稿作品として主催者の依頼により書いたものです。

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こんにちは!エドゥカーレの小松崎拓郎です。写真を撮る編集者です。

今回はnoteのお題企画「#写真が好き」に書いてみてよ、と誘ってもらえたので、筆を執りました。

「撮ることで人生の出合いが増えるよね。結果的に、人生を一歩前へと前進させるくれるよね」という話をします。

写真は自分のために撮るもの?

まず前段としての話なのですが、「いいね」や「スキ」が可視化されるようになったことで、それらの数が多い写真が、いいものだとする価値観が生まれつつあります。

僕自身も、仕事で写真を撮らせてもらうなかで「人と違うように撮りたい」「あんなふうに写真を撮りたい」と、認められるために写真を撮っていた頃があります。

でも、その頃は、右往左往しているばかりで、写真を撮ることが楽しいものではなかったんですね。

はたして、ほんとうに必要なのは「いいね」の多い写真なのでしょうか?

あるときから、こんなふうに考えるようになりました。

僕に必要なのは、認められるために撮るのではなく、被写体が発しているメッセージをただ純粋に受け取ることだと。

そして、それを形にし、被写体や、その周りの人たちと分かちあって御返しすることだ、と。

メッセージを受け取り、御返しできる。
ぼくが、写真がすきな理由は、ここにあります。

撮ることは、与えられること

編集者である僕にとって、撮ることは、聴くことと同義です。

聴くことと撮ることはおなじ?と不思議に思うかもしれません。

カメラのシャッターをきるとき、被写体からなにかを受け取っていませんか? 

写真を撮ることは、おのずから被写体に歩み寄り、理解しようとすること。ですから写真を撮ることは被写体から何かを与えられている、と僕は考えています。

こんなふうに考える原点は、難病を患っていた療養中の学生時代にあります。家からすぐ近くの道端の植え込みに生えていた、いわば雑草が教えてくれました。光り輝くものはどこか遠くにあるのではなく、足元にあるのだと。植物は、自分にはない価値観を教えてくれたんです。

他の人が見たらなんとも思わないような写真かもしれませんが、僕にとって特別な一枚です。

写真をつうじて出会った人、出合った価値観

こうして地元である茨城県のまだ知らない世界──たとえば、酪農場や森の中へと──自ら足を出向いて、知らなかった地域の魅力に、写真を撮ることをとおして気づいていくようになりました。

そんな背景もあり、 都会ではなく地域に、まだ見ぬワクワクする世界があるのではないかと漠然と思っていたのです。

大学在学中には、これからの暮らしを考えるというテーマで仲間とともに『灯台もと暮らし』というウェブメディアを創刊。取材・撮影で出会った福島県の昭和村のあるおばあさんの糸を紡ぐ姿を見て、美しいものは手から生まれることを教えていただきました。

青森県十和田市ではTowadako Guidehouse 櫂(かい)のインタープリターの方々に、自然に触れ、自然をじっくり見ることの楽しさを教えていただき、自然に近い環境で暮らすことを決めました。


環境負荷の小さい農業の普及を目指す坂ノ途中の皆さんの取り組みから、生きることの真ん中にあるのは食べることなのだと教えていただき、その後、家庭菜園をはじめました。


そのほかにも暮らし方や生き方を提案する群言堂さんや、今治でオーガニックタオルを製造するイケウチオーガニックさんなどの会社との出会いをとおして、社会にはいい会社があり、そういった人や会社の存在を知らないことに気付いていきました。

こうして北は北海道から南は鹿児島まで、仕事を通じて会いに行き、話を聴き、写真を撮るようになっていくうちに、出会った人々から勧められて今度はドイツで暮らすことに。


世界でも数少ないゼロ・ウェイストヴィーガンレストランのオーナーのデイヴィッドには、キッチンや食卓で出たゴミを土に還し、土を農家に還す暮らし方を教えていただきました。


ベルリンのビオホテル・LINNEN BERLINのガブリエルさん、そして編集者のマイアは、受け継がれたものを遊び心いっぱいに今の暮らしに生かすことの楽しさを再確認させてくれました。


パン屋のbrot ist goldやドイツ出身の建築家であるミース・ファン・デル・ローエ邸が与えてくれたことは、少ないことはより豊かであるというress is moreの考え方を。


ドイツで出会った人々、とりわけ、敬愛する友人のライターさん、エンジニアさんには、友人と食卓を囲むあたたかさを教えていただきました。

話題に挙げられるのはわずか一例ですが、撮ること、聴くことから生まれた出会いに生かされて、現在の自分があります。


島根県・石見銀山に抱かれる大森町

写真は、人や価値観との新たな出合いをもたらす

こうして原点から今に至るまでを振り返ると、写真は人生に出合いをもたらす道具です。

少なくとも、撮ろうとすることによって、今いる環境から飛び出して、新しい世界に歩み寄ることができる。

撮ることは、結果的に、人生を一歩前へと前進させる力があるように思います。

ですから、僕に必要なのは、認められるために撮るのではなく、被写体が発しているメッセージをただ純粋に受け取ることだと思うのです。そして、それを形にし、被写体や、その周りの人たちと分かちあうことも。

少しでも考え方の参考になれたら嬉しいです。
撮り続ける人の人生が、より良いものへとなりますように。



「#写真が好き」のそのほかの作品や、OMデジタルソリューションズ×noteのコラボ特集の詳細はこちら(https://note.com/topic/feature)でご覧いただけます

掲載した写真の引用元:灯台もと暮らし石見銀山 群言堂 公式サイト


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