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渓流釣りにハマるまでの僕のお話その1

僕は37歳、既婚子供3人嫁1人。福井県大野市という自然豊かで空気も水も美味い盆地育ち。都会に行くとハナクソがよく溜まる建築士。趣味はCAMP・フライフィッシング・カメラなど。「いい加減に好い加減に生きていきたい」が僕の座右の銘だ。今日は僕が渓流釣りにハマるまでのお話。

小学校の頃から釣りは大好きだった。父親に連れられてよく鯉釣りに行っていた、臭い臭い練り餌を仕掛けに付けてぶん投げる。そしてアタリがあるまでひたすらステイ・・・・ひたすらステイ後のアタリを合わせれば丸々太ったマルタウグイ・・・アタリがあるまでの暇なステイ時間はお菓子を食ったり、葉っぱをちぎってみたり、石拾って川に投げれば父親がガンギレする。昔からじっとしてれない僕には合うはずも無く鯉釣りが嫌いだった。今も全く興味がない。

友達ともよく釣りに行った、行くのは近くの里川へミミズを自分家の畑から捕まえて延べ竿を持って自転車でレッツゴー。アブラハヤやウグイ、ドンコを釣って遊んでいたとても楽しかった。サラダ油持参して食べたりもした。子供だけでライターをつけて火を起こす、スリルがあった。18歳ぐらいになるとブラックバス釣りにハマった。早起きして野池に行ったりダムに行ったり、社会人になってからは琵琶湖にも行った。社会人になるとお金の余裕も出てくる、毎月雑誌を2-3冊買って、大手釣具メーカーのお上手な宣伝文句に乗せられルアーやロッドを買い漁ったが釣果には全く変化が無かった。大事なのは道具ではなく腕だった。

小学校4年生から僕はサッカーをしていた。高校時代はキャプテンもしていた、国見高校や大津高校など全国トップクラスの高校とも試合をした。ボコボコにやられメンタル削られ、練習も夏休みは2部練で朝から夕方までボールを追いかけていた。社会人になってもサッカーをし、分かりやすく言うならJ5のカテゴリーまでいった。チームにもスポンサーがつき、遠征費やホテル台も宿泊代もタダだった。ここでもメンタルを削られる。対戦相手が上手すぎる・・・Jリーグで通用しなかった元Jリーガーが対戦相手に沢山いた。勝てる訳が無い。シーズン中の土日はサッカーの試合で県外遠征が多く、日曜日は特に家にいる事が無かった。嫁ちゃんが3人目を妊娠したタイミングでカッコ良く言うと、30歳でスパイクを脱いだ。30歳でサッカーを辞めて日曜日が暇な時間になった。

ある日知り合いの板金屋さんが一枚の写真を僕に見せてきた。まん丸太ったマルタウグイではなく、まん丸太った体長70センチ級の虹鱒の写真、写真に釘つけになった。釣れた場所は釣り人の性、教えてくれない。ヒントは用水路のみ。。。次の日から探しまくる必死に探しまくる。。。そして見つける。その場所は家からすぐそこ、車で5分圏内の場所だった。灯台下暗しとはこういう事だ、スピナー4.5グラムを用水路の落ち込みに投げる、ボトムまで沈める、結構な深さだった。そして少しトゥイッチも加えてリトリーブ、一巻き81センチとハイギアな僕のベイトリールのドラグが鳴り響くカーボンロッドがグラスロッドですか?ってぐらい見たこともない綺麗な曲がり方。コレはデカい!ドラグを締めて魚と僕のは一騎討ち、用水路の水面から僕の立ち位置は1メートル程あり、このまま暴れ続ければプッツンバラシの可能性もある、僕は迷わず用水路に飛び込む。竿をそれなりに巧みに操り手元もで寄せる。50センチは超える用水路には似合わない綺麗な虹鱒だった。

その2に続く。

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