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きょうの難経 四十七難と四十八難 2021/12/16

一気に飛びまして、今回は四十七難からです。
この難では、顔面だけが寒さに耐えられる理由について論じています。
最近寒さが厳しくなってきているので、タイムリーな内容かと思います。

四十七難曰
人面獨能耐寒者 何也 


人頭者 諸陽之會也
諸陰脈皆至頸胸中而還
獨諸陽脈皆上至頭耳
故令面耐寒也

短くコンパクトに、手足の三陰経脈は頸や胸までだけど、手足の三陽経脈は全て顔面部を巡っているから、と理由を説明しています。
せっかくなので、『霊枢』経脈篇の該当部分を挙げておきます。

大腸手陽明之脈・・其支者 從缺盆上頸 貫頰 入下齒中
還出挾口 交人中 左之右 右之左 上挾鼻孔
胃足陽明之脈・・起於鼻之交頞中 旁納太陽之脈 下循鼻外 入上齒中 還出挾口環唇 下交承漿 卻循頤後下廉
出大迎 循頰車 上耳前 過客主人 循髮際 至額顱
小腸手太陽之脈・・其支者 從缺盆循頸上頰 至目銳眥
卻入耳中 其支者 別頰上䪼 抵鼻 至目內眥 斜絡於顴
膀胱足太陽之脈・・起於目內眥 上額 交巔 其支者 從巔至耳上角
三焦手少陽之脈・・其支者 從膻中上出缺盆 上項系耳後直上出耳上角 以屈下頰至䪼 其支者 從耳後入耳中
出走耳前 過客主人前 交頰 至目銳眥
膽足少陽之脈・・起於目銳眥 上抵頭角下耳後

いずれもしっかりと顔面部を巡っていますね。

ちなみに、同じく『霊枢』の邪氣藏府病形ではもう少し違う説明をしています。

黃帝問於歧伯曰
首面與身形也 屬骨連筋 同血合於氣耳
天寒則裂地凌冰 其卒寒 或手足懈惰
然而其面不衣 何也

歧伯答曰
十二經脈 三百六十五絡
其血氣皆上于面而走空竅
其精陽氣上走於目而為睛
其別氣走於耳而為聽
其宗氣上出於鼻而為臭
其濁氣出於胃 走唇舌而為味
其氣之津液 皆上燻于面 而皮又厚 其肉堅
故天氣甚寒 不能勝之也

ここでは「十二経脈、三百六十五絡において、その気血は皆顔面に上がる」としています。難経が「陽経が巡っているから」と限定的に捉えているのが対比され、興味深いところかと思います。

ちなみに、現代医学的観点で見ると、四肢体幹の皮膚血流は交感神経の血管収縮作用の強弱のみで調節されているのに対し、顔面皮膚や口腔粘膜血流は、血管収縮性交感神経部と血管拡張性副交感神経の両者で調整されているそうです。※1
血流調節の面からも、顔面部が寒さに強い理由が伺われます。

また、中国語の観点から、
「諸陰脈皆至頸胸中而還」の「至〜而還」の部分を日本人は「至って還る」と訳すけれども、中国語のニュアンスからすると「還」はあまり明確に訳さず、「至っている」ぐらいに軽く訳した方が良い、という指摘があり、大変勉強になりました。

では次の難。

四十八難曰
人有三虛三實 何謂也


有脈之虛實 有病之虛實 有診之虛實也
脈之虛實者 濡者為虛 緊牢者為實
病之虛實者 出者為虛 入者為實
      言者為虛 不言者為實
      緩者為虛 急者為實
診之虛實者 濡者為虛 牢者為實
      痒者為虛 痛者為實
      外痛內快 為外實內虛
      內痛外快 為內實外虛
故曰虛實也

この難では「三虛三實」を論じています。
似た言葉が並んでいるので、「脈之虛實」、「病之虛實」、「診之虛實」の三種類に字下げして整理してみました。
このように見ると、「虚実」はここでは区分のための補助線で、人体を見る時に、「脈」と「病の状態」、「診察所見」の3つの視点で整理することの重要性を述べているように思います。この観点は、現代においても実際に患者さんを診る時に有用な視点かと思います。

「虚実」はともすると「陰陽」とも混ざりやすく、混乱しやすい概念のようです。特に漢方では病気になる前の「虚証タイプ」と「実証タイプ」があり、実際に病を得てからの「虚証の状態」と「実証の状態」があり、それが混同されやすい、という指摘がありました。
また、陰陽や虚実が持つ相対的な部分に着目すると、虚実の中にさらに虚実が存在することになり、どこまでも相対化できてしまう。その点を日本の漢方は「虚実中間証」としてくくっているのが特徴であるという補足も頂きました。確かに、「虚、中間、実」の三つで区分するのは、易の「天 人 地」「不及 中庸 過」の区分にも相応するようにも思います。

ちなみに、このあたりのことを藤平健先生は「傷寒論における陰陽虚実について」で述べられているので以下引用します。

「さて次に虚実であるが、「素問」の通評虚実論篇第28に、「邪気盛んなるときはすなわち実し、精気奪われるときはすなわち虚す」とあることから、虚とは空虚の義で、病に抵抗して行く体力の虚乏している状態、実とは充実の義で、病毒体内に充実するも、体力なおこれと対抗し得る状態、と定義してある文献が多い。しかしこの場合、一は生命力の虚乏、一は病毒の充実と、相異る二つの要素をもって定義することは適当ではない。このほか虚実に関する諸家の説は、古今を問わずかなりの相違があり、初学者はそのいずれをとるべきかに迷うことが多い。しかもその比較的多くのものにおいて、陰陽と虚実の区別が判然としないものが少なくない。演者自身、さきの疾病の立体図による説明に気づくまでは、両者を画然と区別するのにしばしば困惑を感じたものである。私は、「虚実とは、疾病の各時期、すなわち三陰三陽を通じて、体内諸器官のはたらく力の度合いが、健康時のはたらき具合、すなわち機能正常よりも、病的に亢進しすぎている状態(機能亢進)を実証と名づけ、反対に病的に減弱しすぎている状態(機能減弱)を虚証と名づける」と定義したい。」

虚実を質量的な捉え方(何かがある、ない)とするのではなく、機能の亢進低下で捉えるという見方は大いに参考になるのではないかと思います。

今回も最後までお読み頂きありがとうございました。







※1 清水 潤「血流および発汗調節に関する自律神経機能の顔面と四肢の差違について」 東北大学大学院歯学研究科

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