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きょうの難経 六十六難 2022/2/3

さて、六十六難です。
この難は、テキストでも「原穴」に焦点が当てられています。
確かに前半、十二経脈それぞれの原穴が列挙されていて具体的なためどうしてもそこに意識が向きます。我々鍼灸師にとっても、「原穴」は使用頻度が高いですし。
ただ、後半に展開される、「原(気)」と「三焦」と「原穴」の関係は、実は『難経』が全体を通じて論じているテーマで、それを総括している大事な部分でもあります。その辺りにも意識を向けながら、読み進めて見ましょう。

まず、前半の原穴の部分です。

六十六難曰
經言
肺之原出于  太淵  (手の太陰経)
心之原出于  太陵  (手の厥陰経)
肝之原出于  太衝  (足の厥陰経)
脾之原出于  太白  (足の太陰経)
腎之原出于  太谿  (足の少陰経)
少陰之原出于 兌骨  (手の少陰経)
膽之原出于  丘墟  (足の少陽経)
胃之原出于  衝陽  (足の陽明経)
三焦之原出于 陽池  (手の少陽経)
膀胱之原出于 京骨  (足の太陽経)
大腸之原出于 合谷  (手の陽明経)
小腸之原出于 腕骨  (手の太陽経)
十二經皆以兪為原者 何也


五藏兪者 三焦之所行 氣之所留止也

手足の三陰三陽経それぞれの原穴を列挙した上で、「十二經皆以兪為原者 何也」と質問しています。
現在の五兪穴では、陰経は原穴と兪穴が一致していますが、陽経は別になっています。なので「十二經皆」とは言えない部分もありますが、兪穴をもって原穴とするのは何故か、という問いです。

それに対して、五臓の兪穴は三焦の気が出入したり、留まったりするところだからだ、と答えていますが今一つすっきりしません。

ちなみに、『霊枢』の九鍼十二原では以下のように述べています。

五藏有六府 六府有十二原
(五藏に六府あり、六府に十二原あり)
十二原出於四關 四關主治五藏
(十二原は四關に出で、四關は五藏を主治す)
五藏有疾 當取之十二原
(五藏に疾あれば、當にこれを十二原に取るべし)
十二原者 五藏之所以稟三百六十五節氣味也
(十二原なる者は五藏の三百六十五節に氣味を稟くる所以なり)
五藏有疾也 應出十二原 而原各有所出
(五藏に疾有るや、應は十二原に出で、而して原に各おの出づる所あり)
明知其原 睹其應 而知五藏之害矣
(明らかに其の原を知り、其の應を睹れば、而ち五藏の害を知る)

陽中之少陰 肺也 其原出於太淵 太淵二
陽中之太陽 心也 其原出於大陵 大陵二
陰中之少陽 肝也 其原出於太沖(太衝) 太沖二
陰中之至陰 脾也 其原出於太白 太白二
陰中之太陰 腎也 其原出於太谿 太谿二
膏之原 出於鳩尾 鳩尾一
肓之原 出於脖胦(気海) 脖胦一
凡此十二原者 主治五藏六府之有疾者也

こちらでは、陰経の原穴と、膏之原の鳩尾、肓之原の脖胦が列挙されていますが、『難経』六十六難の方が現在に近い形に整理されている印象を受けます。

ところで、「原」の字ですが、白川先生の『字通』によると、「巌の下に三泉の流れ出る形」で、水の湧き出る水源が語源のようです。
また、「兪」の字は、同じく『字通』によると、「舟と余。舟は盤、余は手術刀、これで刺して膿漿を盤に移しとる。これによって治癒するので、兪は癒の初文」とあります。
「原」や「兪」を見ると、つい今の感覚で「原穴」「兪穴」と思ってしまいますが、字が本来持っている意味から考えるアプローチも大切だと思います。

では後半です。

三焦所行之兪為原者 何也


臍下腎間動氣者 人之生命也
(臍下の腎間の動氣は人の生命なり)
十二經之根本也 故名曰原
(十二經の根本なり  故に名づけて原と曰う)
三焦者 原氣之別使也
(三焦は、原氣の別使なり)
主通行三氣 經歷於五藏六府
(三氣を通行し、五藏六府に經歷するを主る)
原者 三焦之尊號也
(原は三焦の尊号なり)
故所止輒為原
(故に止る所を即ち原となし)
五藏六府之有病者 取其原也
(五藏六府の病ある者は、皆その原を取るなり)

【意訳】
「原」は臍下の腎間の動気(一説では丹田)であり、人の生命そのものであり、十二経絡のおおもとである。さらに、「三焦」も「原」の別のはたらきであり、上焦・中焦・下焦それぞれと五臓六腑を巡らせるので、「原」は三焦に与えられた尊称でもあるので、その気の状態が最も現れる所を「原穴」とし、五臓六腑に病があれば、それは「原穴」に現れるし、同時に「原穴」は治療点でもある。

ここまで至るのに、『難経』では順を追って論を進めてきました。

まず八難では、十二経脈は「生気の原」に連なっており、それは「腎間の動気」であり、「三焦の原」でもある、という定義を行います。

八難
諸十二經脈者 皆係於生氣之原
所謂生氣之原者 謂十二經之根本也 謂腎間動氣也
此五藏六府之本 十二經脈之根 呼吸之門 三焦之原
一名守邪之神

次に三十六難では、右腎を「命門」とし、神精がやどり、原気と繋がるとします。

三十六難
腎兩者 非皆腎也 其左者為腎 右者為命門
命門者 諸神精之所舍 原氣之所繫也
故男子以藏精 女子以繫胞 故知腎有一也

三十八難では、三焦は原気の別の働きであるとし、

難経 三十八難
所以府有六者 謂三焦也
有原氣之別焉 主持諸氣 有名而無形 其經屬手少陽
此外府也 故言府有六焉

六十二難では、五兪穴(井・滎・兪・経・合)と原穴の関係、特に府における原穴と三焦の気(原気)との関係を整理しています。

六十二難
藏井滎有五 府獨有六者 何謂也
然 府者 陽也
三焦行於諸陽 故置一兪 名曰原
府有六者 亦與三焦共一氣也

この流れを振り返った上で、もう一度六十六難の後半を見て、以下のように整理しました。




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このように見てきますと、『難経』の作者が「生氣之原」と「三焦の働き」を非常に重視していることが伺えます。

ここからは私の仮説です。
「生氣之原」とつながる「命門」の位置づけですが、人体の中、特に腎に先天の精が蓄えられていて、それが「神精之所舍 原氣之所繫」である「命門」と繋がっている、というイメージを持っていました。
そこで一歩進めて、「門」の字にこだわってみます。「門」は何かが出入する境界を示しますから、身体の深部と浅部の境界の門とするよりも、いっそのこと人体と、天地自然の間の境界の「門」として捉えるのはどうだろうと思うのです。
『周易』咸卦に「天地感じて萬物化生し」とあるように、天の陽気と陰の地気が交わって、地上の万物が生生化育する、という考え方は東洋思想の根幹となる概念です。「原」は三つの泉から水が湧き出る様子、とありましたが、泉から水が湧き出るのは、地中の地下水があってのことです。そのように考えますと、私達の「命の門」から入ってくるのは、天の陽気と地の陰気とするのが自然なように思えます。
そのような、自然界の中の一部としての人間、という捉え方が東洋医学のダイナミックなところでもあるのだと思います。






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今回はここまでです。
長くなりましたが、最後までお読み頂きありがとうございます。

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