TOKYO COMPLEX「ローカルとしての東京」

出身が北海道である僕からすると東京は憧れの街だった。
そして2009年に上京した。
首都としての煌びやかな東京に憧れていた。
幼少期に旅行で訪れた東京はお台場や東京ディズニーランド(厳密には東京ではない)といった、観光に特化した東京だったため、生活の場として東京を住み始める前は観光都市としての東京のイメージが強かった。
東京、といっても僕の住処は国分寺であり23区外であった。
思い描いていた観光都市としての東京感はお世辞にも感じられなかった。
そのため、新宿や渋谷、池袋といった名前を知っている東京の街に行く時は高揚していた。
放送研究会に所属していた僕はサークルの業務関連でたまに池袋に足を運ぶ時があったがあきらかにおのぼりさんになっていた、と思う。

このように僕にとって東京は憧れの街であるのだが、東京生まれの人にすると東京は故郷となる。
よく「東京生まれの人は故郷がない」と言われる。
もちろん、東京が故郷なのだが、地方出身者からすると東京とは別の生まれ育った町があるということは心の支えでもあった。
東京出身者に比べると確かに地方出身者の「故郷」感は強い。
だが、東京出身者における故郷は間違いなく東京なのだ。
東京にも故郷=ローカルと言えるものがある。
僕が4年間過ごした国分寺もまさにそうだ。
23区外であるが故に感じるローカル感。
何十年も営業している老舗のお店なんかが多い。

23区内でもそうだ。
昔ながらの東京文化を引き継ぐお店も多々ある。
浅草や亀有といった下町なんかがまさに良い例だ。
まさにローカルとしての東京だ。
浅草や亀有は観光都市としての役目もあるエリアではあるが、普通に生活に根付いた東京も多々ある。以前、就職活動中に経堂に行く機会があった。
下町ではないがあそこはあそこで地元に根付いたお店もたくさんある。
これもまた、ローカルな東京なのだ。

2020年。東京オリンピック。
今、観光都市としての東京の拡張が感じられる。
ローカルとしての東京が薄くなってきているのではないだろうか。
オリンピックとは関係ないが、JR中央線の各駅の再開発なんかもそうだ。
僕が大学を卒業し東京を離れる時、本格的に国分寺の再開発が開始された。
当時僕が住んでいた国分寺の姿と今の国分寺とでは大きく違う。
昨年、久々に下北沢に遊びに行ったがここも大きく変わってしまった。
ローカルとしての東京が無くなってきている。
再開発を否定するつもりはないが、それでも寂しさを感じてしまう。

今月号のPOPEYEが東京特集。
POPEYEの良いところはローカルとしての東京を取り上げているところ。
小洒落てはいるが安心感がある、ローカルとしての東京。
生活に根差した東京。
最近は観光や都市としての東京よりも生活に根差したローカルな東京に憧れいる自分がいる。

小沢健二の新曲「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」には日比谷公園や下北沢が歌詞に出てくる。
それ以前の曲にも東京タワーは成田空港といった歌詞も出てくる。
「上京」をテーマにした東京の名曲が多い中、小沢健二の紡ぐ東京はローカルな東京が感じられてすごく好きだ。
そういえば2012年、東京オペラシティで開催されたワンマンライブ「東京の街が奏でる」もローカルとしての東京をテーマにしていた。

そして201年4月。
僕は小沢健二に会いに行く。
8年ぶりの小沢健二。
そこで僕はローカルとしての東京に触れるのだろうか。

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