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2000年生まれの僕が高3の夏に宇多田ヒカルのファンになった話

これを書こうと思ったきっかけ

2020年も半分が過ぎて、大学の先輩たちは就活やインターンで忙しくしている。そろそろ僕も、将来について何かしら道を見出したいなと思い始めた。
考えていないわけではないと思う。高2くらいから、将来への希望より将来への不安の方が大きくなって、今もまさにぐるぐる悩んでいる。

そんな自分の将来を考える過程で、「スキなものがなぜスキなのか」を言語化したいなと思った。それが、僕の将来の幸せにも繋がる気がした。
僕にとって、「スキなもの」の1つが「宇多田ヒカル」だ。

2018年の夏に宇多田ヒカルのファンになる

僕は2年前、宇多田ヒカルの虜になった。高3の夏のことだった。
2018年7月にNHKで放送された、プロフェッショナル 仕事の流儀「宇多田ヒカル スペシャル」を見たのがきっかけだった。
それからというもの、彼女が創り出すメロディーやリリック、
彼女の言葉を追い続けて、早2年が経った。

「曲が好き」とか「歌詞に共感できる」とか、それだけが理由ではない。
ありがたいことに、宇多田ヒカル以外にも僕の好きな曲や共感できる歌詞を作ってくれるアーティストはたくさんいる。

じゃあ、なぜ僕はこれほどまでに、宇多田ヒカルを愛し、リスペクトしているのだろうか。彼女のような生き方に憧れている自分もいるし、彼女の魅力を僕も身に付けたいと思ったりする。自分の人生を見つめるうえで、宇多田ヒカルさんがスキな理由をまずは言語化する必要があるな、と思った。

彼女の生い立ち

変えられないものを受け入れる力、
そして受け入れられないものを変える力をちょうだいよ

これは僕が生まれた年にリリースされた「Wait & See ~リスク~」という曲の一節。僕はこの歌詞に深い共感を覚える。

宇多田ヒカルは、僕が生まれる15年前(1985)にニューヨークで生まれた。
幼いときから、両親の仕事の都合上日本とニューヨークを行ったり来たり。
学校の友達にサヨナラを言えないまま、次の日には日本に戻ることもあったそうだ。次第に彼女は感情を素直に表現しないような子どもになっていく。安心したら次の瞬間には傷つくし、たとえ気持ちを伝えても何かが変わることはなかったから。2018年6月にNHKで放送された番組『SONGS』で、幼少期の経験をこう語っている。

(現実の生活では) 何が起こるか分からない。
0.5秒後にはそれが全部ひっくり返されるのが普通だった
安心したいけど、安心したら絶対に傷付くし裏切られるから、
できるだけそうしないようにしていた。

"不可抗力"を受け入れる心の強さ

昭和の歌姫、藤圭子の娘として生まれ、母と父に愛されながらも、育った環境と運命によって、自分の感情を押し殺すようになった幼少時代。
そんな人生を歩んできた彼女にとって、「歌を作ること」は、周りの環境や運命に捉われずに、自分の心に向きあえる瞬間だったと想像する。自分の力では変えられないものを受け入れて、同時に受け入れられないものを変えようとする営みが、曲作りだったのかもしれない。

僕はきっと、そんな「自分の力ではどうしようもない不可抗力」に対して、必死に向き合ってきた彼女を尊敬しているんだろう。向き合うだけじゃなく、言い訳せずに前進し続ける心の強さを。

「普通じゃない自分」とか「マイノリティに属する自分」とか、認めてあげたいけど、なかなか素直に認められないものは、誰にだってあるんじゃないかと思う、多かれ少なかれ。そして、僕にもある。

「それは運命だから、自分の力では今更どうしようもできない」って言われるけど、そんなことは頭では分かっている。そう言い聞かせて、頑張ってきた自分もいるし、頑張り切れなかった自分もいる。

そんな時、宇多田ヒカルを見ていると、なんだか強く励まされる。
曲作りを通して、「普通じゃない運命」や「普通じゃない自分自身」に向きあい続けているように見えるから。

そしてここまで書いて思う。
やっぱり好きな理由を全部言語化なんてできそうにない。
どんな言葉並べても 真実にはならないから。
今日は贈ろう 花束を君に。(やりたかっただけ)




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