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棚から牡丹餅を

 自分は棚からの牡丹餅で人生が変わり続けていると、年末に振り返って改めて思う。動き回るうちにたくさんの人に出会い、見たことも聞いたこともない機会に恵まれ、今いる場所に辿り着いた。

 けれども自分とは逆に、人と出会っても何も変わらない!と嘆かれる御方が時々いらっしゃることも。そこで今年最後に「棚から牡丹餅」がどうやって生まれているのかの考察を書き残しておこうと思う。

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 一つ目に、自分の人生が出会いから変わっているのは、中長期的に牡丹餅を受け取っているからだと思う。

 例えばアトツギの皆様を支える取り組みは、初対面から三年後にスタート。新規事業の講師の役目は、初対面から四年後にスタート。思い返せばどれもこれも短期ではなかった。

 自分たちは、行動すれば「すぐ」何かが起こる。人に出会えば「すぐ」何かが起こる。そんな風に期待してしまいがち。けれども恋愛がすぐに実らないのと同じように、時間を掛けて棚から落ちてくるものだと自分は信じて疑わない。

 二つ目は、自分の人生が出会いから変わっているのは、牡丹餅を授けてくださるかもしれない皆様と、無数に出会っているからだと思う。

 例えば牡丹餅を授けてくださる方が100人に1人と仮定すると、100人と出会えば1つ、500人の方と出会えば5つ。自分は動き回り続けていることもあってか、数多のご縁をいただき続けている。これがきっと、効いているに違いない。

 心躍る未来を誰が授けてくださるかは、残念ながら神のみぞ知る世界。Aさんとご一緒できるに違いない!なんて思っていても何も起こらず、想定外のZさんから急な相談が来たりするもの。だからこそ、牡丹餅を受け取りたければ出会いを重ねることが大切だと自分は信じて疑わない。

 三つ目は、自分の人生が出会いから変わっているのは、どんな牡丹餅であっても食べることをモットーにしているからからだと思う。

 思い返せば今年もたくさんの相談をいただいた。「学校の先生やってみませんか!」といったものから、「宇宙スタートアップを前に進めたいんです!」といったものまで。自分はそれらに対して「面白そうですね!」というお返事をし続け、新しい未来が幕を開けた。

 自分たちは失敗を恐れてしまう。何か牡丹餅らしきものが目の前に落ちてきても、食べるべきだろうか?そもそも本当に牡丹餅だろうか?と用心深くなり、機会を逃してしまうことが多々ある。だからこそ、まずは牡丹餅をかじってみることが大事だと信じて疑わない。

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 棚からの牡丹餅で人生は大きく大きくその姿を変えていく。そして牡丹餅は出会いという名の棚から落ちてくる。けれどもすぐには落ちてこず、誰もが落としてくれるわけではなく、そして落ちてきた牡丹餅は口に入れてこそ本当の価値が分かるもの。

 この投稿に目を通された皆様の新年に、どうか素敵な牡丹餅が棚から落ちてきますように。

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