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非日常な電車【3】



「僕は8年前から父と一切口を聞いておりません。」

じいちゃんは曽祖父の葬式の挨拶で原稿らしきものを持ってそれを読み上げるようにして丁寧な言葉を紡いでいたのと対照的で僕に原稿らしきものを持っている様子はないが、原稿を読むように俯きながらボソボソと震える声で言葉が続いていく。

———僕が生涯で1度だけ父にした反抗がきっかけとなり、僕らは口を効かなくなりました。親不孝なことは分かっています。ただ、僕は今でも父と口を効きたいとは思いません。父のことが嫌いなわけではありません。変なところはありながら優しい父で、僕をここまで何不自由なく育ててくれたことにとても感謝しています。社会人になった今、その凄さが想像を絶するほど大変なこと、子どもがいないながらも肌で感じているところです。自分が汗水流して時に嫌な思いをしながら怒られながら頑張って稼いだお金がこんな自分のような子どもに使われる人生を想像すると、本当に父の気持ちが思いやられるし、申し訳ない気持ちでいっぱいです。そんな父を支えてくれた本日ご参列いただいている皆様にこのような形で偉そうに挨拶する僕をお許しください。

そんな親不孝な僕ですから、16歳以降父と話をしたことはただの一度もなく、父が何を考えていてどんなことを思いながら毎日過ごしているのか全く僕にはわかりません。父が亡くなった今、初めてそんなことが気になります。毎日どんな思いで過ごしていたのか、仕事へ向かっていたのか、僕ら子どもは父にとってどんな存在だったのか。

父は口下手な人だったので、汚い字で書いた手紙やメールを通した文章で時に思いを伝えてくれていたのを思い出すと、真っ先に思い出すのは『自慢の息子』という言葉です。父は文章の最後に必ず『自慢の息子です。ありがとう。』などと書き残していました。そんな言葉を当時の僕はうさんくさいと思っていましたが、この言葉の本当の意味は、きっと僕に子どもができたときに分かるのだと思います。

よく「子どもは親を選べない」などと言いますが、一方で「子どもは親を選んで生まれてくる」という研究や説を唱えている人もいるそうです。もし子どもが親を選んで生まれてくるのであれば、なぜ僕は父を選んだのでしょうか。

その答えが今日分かった気がします。僕はこれまで父が選んだ人に支えられて生きてきたからです。父が選んだパートナー、父が選んだサッカークラブで出会った仲間、父が選んだ街で出会った数々の友達。父が母を選んでいなかったら、父がサッカークラブを選んでいなかったら、父がこの街を選んでいなかったら、僕はこれまで生きてこれませんでした。父の人を見る目を、父の選ぶ力をみて、僕は父を選んだのだと思います。


挨拶を終えた僕の袖は冷たく、鼻から流れた涙が口の中を甘塩っぱく包んでいた。

タオルで涙と鼻水を拭い、涙が枯れたころ、僕は朝に冷たい水で顔を洗ったときに目が覚めるような感覚で電車に揺られる現実に戻ってきた。空は曇り雨が降る曇天とは対照的に僕の顔は晴れ。リュックを背負い手提げ鞄を持つと、軽快なステップを踏むように早歩きで電車を後にした。

完。



※この物語はフィクションかもしれないしそうではないかもしれない。

かくいたくや
1999年生まれ。東京都出身。大学を中退後、プロ契約を目指し20歳で渡独。23歳でクラウドファンディングを行い110人から70万円以上の支援を集め挑戦するも、夢叶わず。現在はドイツの孤児院で働きながらプレーするサッカー選手。

文章の向上を目指し、書籍の購入や体験への投資に充てたいです。宜しくお願いします。