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3‐9 パフォーマンスと練習

 パフォーマンス向上の秘訣は練習にあります。もちろん本番でどんどん気づいて、どんどん学んで、どんどんできるようになることもあります。そういう意味では本番こそ最高の練習とも言えますが、より高いレベルを求めている人で「練習がなおざりな人」に会ったことがありません。

 同じ練習時間、同じ練習量でも人によって大きく差がついてしまいます。それを「センス」という言葉に押し込めることがありますが、そこはパフォーマンス医学。あらためて練習について考察してみたいと思います。

 共有しておきたいのは「いろんな練習がある」という事実です。時にそれらは相互補完的だったりしますが、方向性を主軸に練習を見つめてみましょう。

得意をさらに磨く練習と、不得意に向き合う練習

 これは真逆です。得意で不得意をカバーできる場合もあれば、不得意を何とかしなければどうしようもない場合もあります。

 不得意がある程度形になれば、ますます得意が生きることもありますし、得意に依存してしまって全体的な実力が落ち込む場合もあります。特に不得意に向き合う練習は気分的にもあまり楽しいものではなく、できない自分に直面せざるを得ません。不得意ですから当然、簡単に克服できるものではありません。このあたりの取捨選択やジャッジは本当に難しいです。


時間的に余裕がある時の練習と、差し迫った時期の練習

 これもかなり違います。時間が十分にあれば、自分の技術をゼロから再構築したり、スタイルをリニューアルしたり、新しい技術をマスターしたり、などなど実験しながら進むことができます。

 しかし本番や試合まで時間がない場合、「とりあえず今ある材料でなんとか料理を成り立たせる」場合もあります。いわゆる帳尻合わせで及第点のパフォーマンスはできるものの、実力としては平行線あるいは徐々に下降線、ということも。

 相撲の世界で言われる「3年先の稽古」つまり長期で見た場合は大きな差がつくけれど、短期では全く効果が感じられない稽古があります。熟成されたワインのように「時間」が重要な構成要素になっているんですね。

 ですから「今、行っている練習はいつ生きるか?(生かすつもりか?)」という視点は有効だと思います。「ずっとそれをやっていく」のと「3年で引退するつもり」では正解は異なりますし、「1日の中で十分に練習できる時間がある人」と、「時間の確保自体が簡単じゃない人」によっても解は違ってくるはずです。

武器をつくる練習と、武器を使う練習

これも全く別の話になります。「刀をつくるのと、刀を使うのは違う」ってことは簡単にわかるのに、武器をつくる練習は地味なので「この武器が完成すれば使える、勝てる」とつい思いこみたくなるものです。結果、使う練習の割合がガクッと減ってしまい、技はできるようになったけど使えない、という状態に陥ることも。

 400戦無敗と言われた伝説の格闘家、ヒクソン・グレイシーは、最終的な決め技の種類はそんなに多くない選手でしたが、そこに至るまでの技術が多彩で、対戦相手はいつの間にか「極められて負ける」のコースに引きずり込まれているような戦い方でした。

自分のキャパシティを拡大する練習と、スタミナや技術をロスなく使う練習


 これらも真逆の方向性です。キャパを拡大するには、スタミナを使い切る、技術を全て出し切る、などオールアウトが必要です。 ですが、キャパを上げる練習ばかりしていると、スタミナの使い方は下手になってしまいます。チャンスまで動きながら待つ、などの練習をしていく必要があります。

このように、練習にはいろいろあります。

どの面を伸ばすのか? 
ジェネラリストで行くか?それともスペシャリストでいくか? 
強烈な個性を目指すか?カメレオンのような七変化を目指すか? 

やはり練習を考える上で大切なのは、「どうなりたいか」から現在を見直す作業でしょう。

 ゴール:どうなりたいのか?
 現在地:現状はどうなのか?

 この2つを明確にして、ゴール側から現在地を眺めてみる。「なりたい自分」は現在ではなくて未来にいるわけですから、向こうからこっちをみれば、「やるべき練習」が見えてくると思います。

 いつの間にか「この練習をやれば上手くいく」にひっくり返ってしまったり、「やって当たり前だから」と練習を検証しなくなり惰性で続けてしまったり、「これはうちの伝統だから」みたいな思考停止に陥ったり、そういう落とし穴がたくさんあって(私自身何度も落っこちてきたので)同じ轍を踏んで欲しくない、と思い、練習について記してみました。

(『可能性にアクセスするパフォーマンス医学』より)

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