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紫本11 我々は超越する

 このように人間は道具やテクノロジーをより高度に、複雑に、共有的に駆使することで運動の幅を飛躍的に向上させてきました。

 その中で途方もなく長い年月をかけて気が遠くなるほどの試行錯誤を重ね、あるひとつのテクノロジーを手に入れて、大きなパラダイムシフトが起こりました。

それが「火をコントロールする技術」です。「火」というテクノロジーを手にしたことで寒い冬の夜でも凍死せずにすむ。天敵である猛獣を追い払うことができる。美味しいステーキを好きな時に味わえる。

 そこから加熱調理という文化が生まれ、生食による食中毒のリスクが減じられ、さらに農業が発展することでそれまでの飢餓のリスクも格段に減りました。

それまで山火事で住処を追われた人もいたでしょう。家族や群れの仲間を失った方もいたでしょう。「怖れの対象でしかなかった火」は、私たち人類の大先輩たちの興味、想像、試行錯誤、感動、知識化、共有、そして集合知のおかげで、「心強い味方」に変わったのです。

今、蝋燭やコンロに火をつけることも、猛獣に襲われずにすむことも、冷暖房のスイッチを入れることも、いちいちそれらに感動することはありません。むしろあたりまえの感覚になっていますが、よく考えたらものすごい歳月をかけた人類の文化の積み重ねの上に成り立っているわけです。

 現代社会でも火災や爆発など火を怖れるシチュエーションは相変わらずありますが、防火対策を施したり、小さなうちに消火したり、消防システムを構築したり、ということもやっています。火そのものは数百年万年前と変わらないけど、「火に対する人類の態度」は大きく変わりました。と同時に「火から逃げるしかなかった人類」は、「逃げる、対応する、判断する、選択する、ができる人類」に変化したわけです。過去を超越したのです。


ここでたいへん興味深い学説をご紹介します。

フランス高等研究機関の古人類学・先史学教授であるイブ・コパンス博士によると、アフリカに森の中にいたチンパンジーと人類の共通の祖先は、南北に連なる険しい山脈の出現によって分断された可能性があるそうです。

 大規模な地殻変動の結果、山脈の西側には豊かな森が残り、東側は雨量が減ってしまい、大部分が草原で小さな森が点在するような環境に変化した。樹上生活ができなくなった東側の祖先は、2本足で直立歩行を獲得し、森から森へと平地を移動するようになった(移動せざるを得なくなった)。森の樹上生活を続けた西側の住人がチンパンジー、豊かな森を追われた東側の住人が我々人間に進化したのではないか、という内容です。


チンパンジーと人間の分岐の時点から「ハードシップを乗り越える」「不利をひっくり返す」「追い込まれてもなんとか生きる道を見つける」そんな種としての宿命を背負っていた。そう考えると、人間の歴史は、超越の歴史なのかもしれません。


 運動の観点からすると「2本の足で立つ」という行為自体が、4本で立つよりも不安定ですし、さらに「歩く」となれば「安定の範囲外に1歩を踏み出す」を繰り返すことになります。ですから脳も「不安定の中で安定を見つける運動」を通じて進化してきたのかもしれません。変化の中に不変を求めるような(そういえば不変と普遍も、同じ読み方ですね!)。

Batman


 現代でも「超人」という概念があったり、想像上の「全知全能の存在」を信じたり、スーパーマンやバットマンなどの「ヒーロー」を夢見たり、現実に存在する「憧れの存在」をリスペクトしたり、誰も達成できなかった「前人未到の記録」を賞賛したりするわけですが、それらも「現時点を超越する」という視点から捉え見直してみると、なんとなく納得がいく気がしませんか?

 映画や音楽などの芸術においても、「感じ方は人それぞれ」「芸術に優劣はない」などの意見や考え方もよく目にする一方で、アカデミー賞やグラミー賞といった授賞式はやはり注目されます。

 学問研究や文学の領域でもノーベル賞や芥川賞などの受賞者も、功績や作品が認められたということになります。スポーツもトーナメントやリーグ戦という形で競い合いますし、お笑いやコメディ、オーディションなどでも真剣勝負が繰り広げられています。

 これらの競い合いの概念を導入するのも、またその競い合いに熱中、興奮、自己投影するのも、そして多くの人々が認める「いちばん」や「特別」を賞賛するのも、人間ならではの所業です。


では、なぜ私たち人間は超越できるのでしょうか? 

 その理由のひとつは、脳内にある報酬系回路と呼ばれるシステムにあります。報酬系回路では、「自分の欲求が満たされた時」あるいは「欲求の実現が予想された時」に、中脳という場所にある腹側被蓋野(ふくそくひがいや)にあるドーパミン作動性ニューロンで、神経伝達物質のひとつであるドーパミンがつくられます。


  このドーパミンが前頭前野や前帯状皮質(ぜんたいほうひしつ)という場所に放出されると脳に「快感」が生じます。さらにドーパミンが側坐核(そくざかく)という場所に放出されると「快感を得た時の行動」を克明に記憶します。そしてことあるごとに快感の記憶を再現しようと行動が強化されるのです。

 報酬系回路も他のシステム同様、「人間が生命を維持するための行動を促すシステム」として発達してきました。

たとえば、食べ物を見つけたとき(飢えずにすむ!)思いっ切り身体を動かしたとき(獲物を確保した!猛獣から逃げることができた!)、種の保存としての性行為を行うとき(家族が増える!群れとして強くなる!)、どれも生存の可能性が上がります。


 さらに文化的な生活の浸透と共に報酬系回路も発達してきました。

「他者と共感・交流したとき」「誰かに認められたとき」「目標を達成したとき」「自分の成長を実感したとき」など、より高次な経験に対しても活性化するようになったと考えられています。

「超越」などと書くと、何かでっかいこと、凄いことをやらなければいけないような気がしてきますが、そうではありません。

 シンプルに「現在」から「こうありたい」に変化することです。「できなかったことが、できるようになる」ということは大きさに関わらず、それまでの自分の超越です(大きなことを実現する人ほど、小さなサイズに区分けしたり、分担する工夫をしていたりするものです)。

 もちろん上手くいかないこともあります。なかなか結果が出ない時期もあるでしょう。強さを求めているのに、自分の弱さが情けなくなる日もあります。でも、それは何かをやろうとしている、なりたい自分に向かっている証左でもあります。


 強くなりたいのであれば、少しだけ「個としての自分」から「人間としての自分」に立ち戻ってみるのはいかがでしょうか? 

 私たちは、不利をひっくり返してきた先輩たちの恩恵を受けて、今ここにいいます。あらゆるジャンルに先人たちが丁寧に積み重ねてきた集合知にアクセスすることができます。あなたもわたしも困難には超越で答えを出してきたDNAの継承者です。

 そう、私たちは人間です。原点に立ち返り、原点の理解を深めることで、あなたの「今」と「こうありたい」を考えてみてください。それが強さを磨く最初の歩みとなります。(強さの磨き方 ~強さと人間理解~より)

 紫本、公開中。


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