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中井祐樹 × Dr.F :どうしたら強くなれるのか? その発想と指導法1 ~哲学のぶつかりあい~

格闘技医学の開拓者 ”Dr. F”こと、二重作拓也が、格闘技界の生きる伝説・
中井祐樹と「いかに上達するか」をテーマに指導と医学という2つの立場からスパーリングセッション形式の対談を行った。


2人を繋いだのは、プリンスの音楽だった。

ーーまずはお二人の繋がりから教えてください。

Dr.F 実は、僕たちはミュージシャンのプリンスのファンなんです(笑)。もちろん、中井先生のことはバーリトゥード・ジャパン・オープンの頃から存じていましたし、尊敬する大好きな格闘家だったのですが、SNSを通じてプリンスのファンだということを知って、メッセージをお送りしたことから交流が始まったんです。

中井 もちろん、僕も二重作先生のことは格闘技雑誌の連載を通じて存じていました。そこに書かれていた"時間が変わると、やることが変わる"という先生の言葉に感銘を受けて、いつかはお会いしたいと思っていたところSNSでご連絡をいただいて、プリンスのファンと知ったときは、さすがに親近感が湧きました(笑)。

(動画:K1テーマ曲でもあるエンドルフィン・マシ―ン)


――中井先生は日本のグラップリング界を代表する方ですが、二重作先生もドクターである一方、空手家であるという側面も持っていらっしゃいます。競技によって携わる人の性格や性質が違うとよく言いますが、初めて会ったときに、お二人はそれを感じましたが?

中井 僕は、競技性の違いというのは特に感じることなく、逆に雑誌で拝見していたイメージどおりの方なんだなとうれしく思いました。

 Dr.F 実は、僕は、感じたんです。打撃系格闘技の団体は、分裂が多いのは読者の多くの方がご存じのとおりですが、パンチを出すときというは、肘関節が伸展して、肩関節が屈曲する、いわゆる"お前来るなよ"というジェスチャーでもあるんです(笑)。これがグラップリングとなると、肘関節、肩関節とも屈曲させて相手を引き寄せ、距離を一度ゼロにしないと競技が成りたたない。そういうのもあってか、やさしく、惹き込まれる感じがありました。柔術やレスリングの方たちが、競技を超えて交流しているのは、こういったところからも来ているのかもしれませんね。

哲学のぶつかりあい

中井 それを言うとMMAは、生き方のぶつかり合いなんですよ。相手と、お前の土俵なんかに付き合わないぞ、ということを前提とするので、けっこう哲学的なぶつかり合いでもあるんです。

Dr. F「ああそうか! 理念と理念がぶつかり合うわけですね。

中井 だから、絶対的な攻撃の手法なんてないんですね。投げるのが上手くても、相手に寝技を取られてしまうし、組み付きの上手いヤツは、逆に打撃を恐れると弱点も出て来るし……という、じゃんけんぽんが複雑に絡み合っているような状態なんですね。

 強くても、必ずどこかに穴はあるんです。叩く、押さえる、決める、仕留めるといった幅のある動きのなかで、自分の土俵を生かしながら、相手の穴を突くというのがMMAなんです。 おもしろいのは、一芸を極めている選手が、すべての技術をバランスよく身に付けている選手に勝つ可能性があるというところなんですね。

Dr. F たしかに、そういったことは空手にもあります。下段回し蹴りや上段回し蹴りといった、強力な技をひとつ持っている選手が勝ち上がって優勝をさらってしまったということが、全日本の歴史でもありました。

中井 MMAは、UFCが象徴するように、今はアメリカが主戦場になっていて、トレーニングに関する研究もかなり盛んになっているんです。例えばランニングに関しても、短距離も、中距離も、長距離も必要だということが分かって、あとはそれをどの配合で行うのが一番鍛えることができるのか、専門誌なんかにも書いてあるんですね。
 専門誌といえば、僕は以前、二重作先生が雑誌で書いていらした"時間が変わると、やることが変わる。時間で区切った練習にすごく意味があるんだ"という言葉に衝撃を受けたんですよ。

 というのは、時間が変わると競技って変わってしまうじゃないですか? それを寝技文化の人たちはあまりにも軽視していて、練習量がすべてを決定するという意識があって、練習時間がべらぼうに長いんですね。なんとなく、量をやることが練習だと考えているところがあって(笑)。

 でも、1時間も2時間も試合することってないでしょ、ということなんですね。「この練習で体を作っても、試合とまったく違うことをやっている可能性があるかもしれないんですよ」というのを、ずっとぼやっと頭の中にあったので、それを先生の雑誌の中の言葉で再確認しました。

3分を3分と捉えるか、1分を3回と認識するか、戦いを30秒で終わらせるか。時間の捉え方でやるべきことが変わってくる。

Dr. F その話はおそらく、試合前に、『前回の試合ではキックミットを10ラウンドやったので、次の試合はタイトルマッチなので12ラウンドに増やします。』という方法が、本当に効果があるのか、ということについてだったと思うんです。

 人間は、12ラウンドやると決めたら、12ラウンド用の動きを脳が決定してしまうので、運動強度としては、『12ラウンド動けるように動いてしまう』んですね。であれば、10ラウンドだよと騙しておいて、プラス2ラウンドするのが本来の効果を狙ったトレーニングなんです。

 運動の量だと分子だけですよね?分母で割ってあげないと、本当の数字って出てこないんです。たとえば、ひとつのトーナメントでベスト8に3人入賞したといっても、ある団体はたくさんの選手がエントリーしていて、もう一方の団体は5人しか出場していないとしたら、分子は同じでも分母はまったく違うわけです。そうなるとなると見た目と実質、いわば価値自体が異なってくるんですね。

 ただ、量をたくさんする練習というのは悪いわけではありません。試合に勝つ、チャンピオンになるというのは"淘汰"ですから、たくさん練習ができる選手というのは、それだけで淘汰に生き残った存在なんです。

 ただ、ひとつだけ忘れていけないのは、現役の時代というのはタイムリミットがあるということなんです。そうした猛稽古をして残った選手というのは、もともと体が強かった、また選んだ競技にフィットしていた、という可能性がありませんか?

中井 ありますね。

初級クラスのオリジネーター

Dr. F たまたま、その人が柔術をやる、空手をやる、テコンドーをやる。それで、その競技にぴったりだったんですよ。骨格なり、手足の長さなり、性格なり……。

 たとえば、ものすごく温和な人が、相手に襲いかかって倒れるまで殴り続けるって、できないんですよ。

 僕は "格闘技の入り口" というのが2つあると思っているんですが、まずひとつが "強い人の入り口" で、もともとケンカ上等で強い人で、そういった人は勉強や芸術の道に進むよりも、格闘技の道へ進んでエンジンをフル回転させて、才能もチャンスもすべて自己表現につなげることができると思うんです。

 もうひとつは "弱い人の入り口" なんですが、とにかく人にいじめられるとか、ケンカをふっかけられるとか、かまわれるのがイヤなんです。そういう人にとっては、自分の自由を守ることが格闘技で、相手をKOするとか、首を絞めて気絶させるというところにあまり価値観を置いていないんですね。

 この2つの入り口から入る人たちは、全く真逆の存在で、両者にとって格闘技は、まったく違うものに見えると思うんです。これは僕の個人的な考えなんですが、中井先生はどう思われますか?

中井 もちろん、そういった面はあると思います。だから、僕は、弱い人たちにとって格闘技が開かれたものであってほしい、と願ってきましたし、おそらく総合格闘技のジムで "初級クラス" というのを作ったのは、日本で僕が初めてだと思うんです。

 佐山聡先生は当時、強い選手を教えるために指導していていらっしゃったと思うんですが(笑)、僕が入門した頃は、練習生各自がサンドバッグとかを叩いているときにアドバイスするような感じで、やっと "スクーリング" といって、コーチが教えますというクラス制の時間が週二回できたころだったんです。それを毎日にしたのが、僕だったんです!

Dr.F 総合格闘技・初級クラスの生みの親だったんですね!

中井 そうなんです!技のメカニズムをかみ砕いて教えていって、まずは楽しんでもらおうというのが主旨だったんですが、そのうち練習生にも個性が出てきて、殴るのは好きじゃないけれど、関節の方が好きだな、とか、自分に合ったものを見つけやすい環境にもなったと思います。

 それは今もあって、総合格闘技という技の幅が広い競技のなかで、俺は組み技が好きだなという人は、さらに、道着の方がゆっくり考えられるし、グラップリングは滑るから体力いるし……、とか、生徒もいろんな観点で格闘技と接し、道を選ぶことができる環境を整えておかなければとは思っているんです。(2へ続く)


中井祐樹(なかい・ゆうき) 1970年8月18日生まれ。北海道浜益郡浜益村(現石狩市浜益区)出身。高校時代にレスリング、北海道大学在学中に高専柔道の流れを汲む七帝柔道を学び、4年時には七帝戦で団体優勝に輝く。その後同大中退後、上京し修斗に入門。93年4月にプロデビュー。94年11月、第3代ウェルター級チャンピオンとなった。95年4月、バーリ・トゥード・ジャパンオープン95に出場。決勝まで進み、ヒクソン・グレイシーに敗れるも準優勝。しかし一回戦のジェラルド・ゴルドー戦で受けたサミングで右目を失明、王座を返上した。その後しばらくは選手活動を停止していたが96年に柔術家として現役に復帰、日本におけるブラジリアン柔術の先駆者となる。98年パンアメリカン柔術選手権茶帯フェザー級優勝などアメリカ・ブラジルで実績を残す。99年7月の世界柔術選手権より黒帯に昇格し、99年10月のブラジル選手権では黒帯フェザー級で銅メダルを獲得した。97年12月、自らの理想を追求するためパラエストラ東京を開設。現在、日本ブラジリアン柔術連盟会長。著書に「中井祐樹の新バイタル柔術」(日貿出版社)や「希望の格闘技」(イースト・プレス)や「本当の強さとは何か」(増田俊也氏との共著、新潮社)、映像作品は「中井祐樹メソッド 必修!柔術トレーニング」(BABジャパン)や「中井祐樹 はじめようブラジリアン柔術」(クエスト)他多数。

・格闘技界の新スタンダード

強さを磨き続ける中井祐樹代表の推薦の言葉も収録。


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