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「異端児」で何がわるいのか

「もう!ほんとに変わった子ね!」

昨日小田急線の車内でお母さんが自分の子供に咎めるようにこんな言葉をかけていました。

見れば3〜4歳位の男の子が「落書き帳」のようなノートにクレヨンでなんとも不思議な色彩で絵を書いているのですが、青や緑のような明るい色ではなくくすんだ茶色や枯れ葉のような色ばかりを使って書いているのがお母さん的にはあまりお気に召さなかったようです。

「普通はもっとほら、こういうきれいな色を使って書くときれいになるでしょ!」

などと言いながら青色のクレヨンを手渡すお母さん。そしてそれを怪訝な顔で見つつも手にとってそれで絵を書き始めるお子さん。

この瞬間に僕の頭の中で「ああ、ひとつの才能がまた潰された」と残念な思いが広がりました。

そもそも小さな子供には自分が特別である、とかみんなと違う、とかそういう感覚は基本的にはありません。誰かと対比して自分を見る、ということが始まっていない「極めて空っぽで何でも詰め込める状態」なわけです。そこに「普通は」とか「みんなは」という大人のどうでもいい価値観を押し付けることでその子なりに伸びていく「個性」という才能の葉がひとつ摘まれてしまうことになります。

人と違うのはいけない

皆と同じでなければいけない

はっきり言いますね、つまんない大人への道を歩ませてるだけです。

僕がニュージーランドにたった3ヶ月ですがいた時に感じた「くっだらない価値観の押し付けの弊害」と、そこから大きく変わった「あ、これでいいんだ」の人生観と人生そのもの。それについて今日は「人と違うことの素晴らしさと正しさ」についてお話したいと思います。今回も興味ある人だけ読んで下さい。でも面白いと思います。

自分は皆と違う

それがいけないことだと思っている

生きづらい

社会生活において皆と合わせることが苦痛で仕方ない

こんな風に思っている人はぜひお読み下さい。そんなこと全く気にしなくていい理由をこれでもか!というくらい解説しつつ、全身全霊を持って応援させてもらいます。

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