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『『罪と罰』を読まない』を読まない

 自分は、気になった本はとにかく購入するようにしているので、随分前に買ったけど読むのが後回しになってしまって、心なしか寂しそうに本棚に佇んでいる本、いわゆる積読本がたくさんある。
 調べてみたら、『積読』と言う言葉は明治時代から存在しているようなので、きっと今も昔も、本が好きな人は少なからず積読本を何冊か抱えているのだと思う。

 そして、積読本の他に抱えているもので、準積読本と言うものもあると個人的に思っている。
 買ってはいないけれど、なんかずっと気になる。本屋さんに行くたびに目に入るけど、買うって程のモチベーションが湧かないような本。つまり、積読本にもなれていない、積読本の候補のことを準積読本と個人的に呼んでいる。

 その中でも、長年準積読本としてAmazonのほしい物リストに眠っているのが、『『罪と罰』を読まない』という本だ。

 この本は、岸本 佐知子・三浦 しをん・吉田 篤弘・吉田 浩美という、超一流作家でありドストエフスキーの『罪と罰』を読んだことのない4人が、読んだことのない『罪と罰』について、小説の断片から内容をあれこれ推理し語り合うといった内容、だと思う。読んだことはないので、断定はできないけれど。

 この本の概要を読んで、読んでいない本を想像して楽しむという、新しい読書の方法があるんだなとハッとさせられた。
 スピッツのボーカル草野マサムネも、洋楽を聴くときは、英語は全く聞き取れていないのだけれど『こういう歌詞だろうな』というのを想像して聴くと何かの記事で読んだ気がするので、それに近い楽しみ方だと思う。
 だけど、有名で実力のある作家達だから可能なのかもしれない。草野マサムネ含めて。
 でも凡人にだって多少はできると、信じたい。だからこそ何年も、この本を読まずに内容を想像するだけにとどめている。

 そして、これをきっかけに、本を読む前はあらすじを見て、映画を見る前は予告を見て、内容を想像してから見るようになった。
 もちろん想像通りの展開になることはないけれど、『想像する時間の楽しさ』、『それを裏切られる気持ちよさ』といったものを、一冊の本を読む度に感じられるようになってきた。

 そんな、『読まない』を楽しむきっかけをくれた『『罪と罰』を読まない』を、いずれ読みたいなと思いながら、まだしばらくは『『罪と罰』を読まない』を読まない状態をキープしていたいなとも思っている。

P.S.鬼滅の刃も前半のちょっとした所しか読んでいないので、CMや周りから聞こえてくる声を元に、ずっと想像している。『無限列車』という単語をどう解釈するかが一番の難関ポイント。