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No.57|過去オール善、現状肯定

2023年3月4日 たまちゃんの「いつか何ものかになる道」 No.57
当ブログは、30代後半の元ポンコツのサラリーマンが何ものかに変化変容を果たす過程をリアルに発信します。
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■「諦観」は「肯定」とは異なる

「過去オール善、現状肯定」という言葉を前職の創業者である船井幸雄が言っていました。

この言葉の意味は、「過去に起こったことはすべて正しく、現状を肯定的に受け入れることで、未来について前向きに考える」というものです。

新卒でこの言葉を聞いた時から、私の中の価値観の一つとなり、自分なりに受け入れてきたつもりです。

しかし、本日、メンターのFさんの勉強会に参加しているときに、気づきました。

私の場合、「過去オール善、現状肯定」ではなく、「過去および現状諦観」ではないかと。
先日の武藤引退の記事でも書いたのですが、過去に対して悔やむことはほとんどないと認識していました。

これは過去に起こったことはすべてよかったことだと解釈していた、からだと思っていたのですが、どうも、単にあきらめていただけではないかと。

ふと思うと、中学くらいからどこか冷めた感じで、熱くなったことがあまりなかったんですよね。

ではなぜ、こんな感じだったんだろうかと考えると、

・熱いという感覚がよくわからない(熱いという体験をしたことも、その熱にさらされることもなかった)
・周りの目線を気にしすぎる
・中学時代の結果至上主義の視点が変にこびりつき、プロセスに意味を見出せなかった

が原因なんだろうと思いました。

こう考えると、中学時代から「人生、そんなもんだよね」となっていたんだと思います。

■「諦観」から「善」への解釈変更が必要

ここで冒頭の船井幸雄の言葉になるのですが、「諦観」は肯定ではないんですよね。
建設的な未来を考えるうえで、何かが引っかかっているという感覚があったんですが、それは過去や現状に対する「諦観」が原因ではないか、と。

つまり、「しぶしぶやってきた」「仕方なくやってきた」「別にやりたくなかったけどなるようになってきた」と感じていることは、私の人生においては大きなプラスだったと、前向きに、かつ、必要必然だった、と解釈することが過去オール善なのではないかということ。

スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の卒業式での有名なスピーチがあります。
点と点を後から結んで線にすることを語っていますが、該当部分を抜粋してみます。

自分の興味の赴くままに潜り込んだ講義で得た知識は、のちにかけがえがないものになりました。たとえば、リード大では当時、全米でおそらくもっとも優れたカリグラフの講義を受けることができました。キャンパス中に貼られているポスターや棚のラベルは手書きの美しいカリグラフで彩られていたのです。

退学を決めて必須の授業を受ける必要がなくなったので、カリグラフの講義で学ぼうと思えたのです。ひげ飾り文字を学び、文字を組み合わせた場合のスペースのあけ方も勉強しました。何がカリグラフを美しく見せる秘訣なのか会得しました。科学ではとらえきれない伝統的で芸術的な文字の世界のとりこになったのです。

もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。

もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。

もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

繰り返しですが、将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。

だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。運命、カルマ…、何にせよ我々は何かを信じないとやっていけないのです。私はこのやり方で後悔したことはありません。むしろ、今になって大きな差をもたらしてくれたと思います。

出所:「ハングリーであれ。愚か者であれ」 ジョブズ氏スピーチ全訳
米スタンフォード大卒業式(2005年6月)にて

これは何が役に立つかは先にはわからない、後からわかるものだという話。

この考え方と「過去オール善、現状肯定」は紐づけて考えることができるのではないかと思っています。

過去の自分の行動や選択はむしろ自分にとって良いことだったと、半ば無理やりにでもポジティブに解釈することを行い、自分の過去の点を結んで未来の線につなげていきます。

昨年後半から本当に思っているのが、中学高校時代からずっと冷めていてよかったということ。
今からでも熱狂できるし、これから熱狂しようとしている自分は、今後の人生が楽しみって思えています。

自分を信じ切り、良い意味での催眠状態、玉ちゃん教の教祖となるくらいのポジティブな解釈を行っていきます。
自己肯定感が上がりますし、未来が楽しみになることを考えると、せずにはいられないことですね。

明日も、「わからないからやってみる」「せずにはいられない」「それは現状維持バイアスではないか?」を自問自答し、変化変容を目指します!

●本日のまとめ

  • 「過去オール善、現状肯定」は過去すべてをよかったことと解釈し、現状を受け入れることであり、諦観では決してない。

  • 今の自分の状況はとても恵まれていて、ありがたい状況であると考える。そして、今の自分の状況に至ったのは、過去のおかげであるとすれば、過去はすべて善かったのだと解釈できる。

  • これらを相互に行き来しながら、必要必然で生じていることだと考えることが建設的な未来を創る。

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