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教員を辞めようと思ったわけ

教員を辞めようと思ったわけを書く。

なぜ僕が教員を辞めようと思ったのかというと

「病んだから」。

よく「教員は給料が安定している」と言われる。
だが、給料が安定している「だけ」だ。

コロナ禍の際も平時と変わらず給料は支払われ、生活に何の支障もなかった。そういう意味では安定している。

「恒産なきものは恒心なし」という言葉がある。

「恒産なきものは恒心なし」
定まった財産や職業がなければ、定まった正しい心を持つことができない。物質面での安定がないと、精神面で不安定になる。

デジタル大辞泉

僕は安定した給料があっても、理不尽に解雇されない職業に就いていても、病んだ。精神的に不安定になった。

これが辞めようと思った一番の理由だ。

では、どうして病んでしまったのか。
その理由を書こうと思う。


寝食への侵食

教員の仕事は、やろうと思えばいくらでも仕事がある。

10年やってもその調整がうまくできなかっただけ。そう言われればそれまでだ。

朝は7時には家を出る。帰宅は早くても20時過ぎ。平日はこれを毎日繰り返す。必然的に食事と睡眠の質と時間が削られる。

昼食は給食がある。しかし、教員の昼食は休憩時間ではない。
給食指導の時間だ。つまり労働時間。ゆっくりスマホを見ながら〜とか、今日は気になってたお店で〜、なんてのは夢のまた夢。ご飯におかずにかき込んで、食育活動に励むのだ。

あぁ、異常。

敵は身内にあり

学校は旧態依然とした体制で、それが嫌になってしまったというお話。

近年、ブラック校則が話題だ。多分に漏れず、僕が勤めていた学校にも髪型に関する校則があった。その校則を見直そうと、生徒指導担当教師、代表生徒、スクールロイヤーで話し合いを重ねた。そうして完成させた草案を会議で提案したところとりつく島もなく猛反対にあった。理由は「風紀が乱れるから」。
髪型ひとつで何が変わろうか。ツーブロックや髪染めをしている生徒がいることによって乱れる学校など、元から乱れている。反対した教員は前例にないことだから怖いのだ。
時代は時々刻々と変化している。「髪染め=ヤンキー」という時代はとうの昔に終わっている。

誤解のないように付け加えるが、僕は手放しで髪染めを容認しているわけではない。事実、見た目によって判断されて不利益を被るということが社会では十分にあり得るし、そういう不利益を被ってほしくない。
しかし、生徒の意見を納得できる理由もなく否定するのはいかがなものか。これでは生徒に「どんなに話し合って意見を出しても結局大人がダメって言ったらダメじゃん」という無力感を学習させてしまう。
もしも乱れてしまったら、また建て直せば良い。「やはり見た目って大事なんだな」と学習する機会になったかもしれない。

時代は変化している。学校も、大人も、変化しなければいけないときに来ている。変化についていけないものは滅びるだけだ。

娘の涙

これは一番ダメージが大きかった。

教員には「部活動の顧問」というボランティア活動がついてくる。これは土日にかかわらずついてくる。僕は部活動反対派だ。これについてはまた別の機会に。

あれは忘れもしない土曜日の部活動。その日は妻が仕事のため、僕と当時2歳の娘、二人で過ごす日だった。娘一人家に置いておくわけにはいかないので、学校へ連れて行った。初め娘はもの珍しい風景を楽しんでいた様子だったが、次第に飽きてきてしまい「公園に行きたい」と泣き出してしまった。

そこで「はっ」とした。なぜ休日であるはずの土曜日に、娘にこんな我慢をしいてまで部活動に関わっているのだろうか。やりたくもない部活動顧問を…。

翌年僕は、部活動顧問を拒否した。

おわりに

教員の仕事はやりがいのある、魅力的な仕事だ。ただし、盲目的に、ただひたすらに、がむしゃらに仕事に打ち込める人だけができる仕事だと思う。
僕は気づいてしまった。外の世界が見えてしまった。ゆえにそのギャップにやられてしまった。

何も見えていない方が幸せなのかもしれないなぁ。

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