才能に出会ってる?
‘’自分より好きになった人がいる”
それを経験したとこがある人が読むと思い出すことがきっとある。
絶賛春休み中。
子どもたち3人は、おばあちゃん宅にお泊まりへ。
主人は自室でなにやら好きなことしてる
爆笑の声が別室のここまで届く。
何をしているかしらんけど…楽しくてなにより。
ひとりのリビング
今夜は静かだ。
雨の日のこんな夜には…燃え殻さんを読みたくなる。
本棚からひっぱりだしてみた。
数年ぶりに読んでも、心がチリチリする。
作者の燃え殻さんは、10歳ぐらいの上の方だけど、この世界感に、わかる。わかる。わかるのだー。の連発。
登場するカルチャー、そこに生きる彼らに激しく共感。アラフォー世代にはくる。
燃え殻さんは都内で働く会社員時代に休み時間にはじめた当時のTwitterで、ありふれた風景の中の抒情的なつぶやきが人気となり多くのフォロワーを獲得。
「140文字の文学者」 と呼ばれ
こちらの作品がデビュー作。
旧Twitter出身の作家と聞くとライトな感じがするけど、この絶妙なラインが凡人には書けないのだ。
それが‘’才能” ってやつなのか。
才能について、昔から思うことがある。
例えば……
ものすごーい美声を持っているのに、歌のある人生に出会わない人とか。
スーパーモデル並の素材を神に与えられているのに、まったくファッションと無念で生きてる人とか。
このスポーツに出会っていたら、その世界の第一人者になれるのにそうとは知らずにスポーツと対極の世界で生きてる人とか。
神がかった秀でる ‘’才能” を天から与えられているのに
それに出会うことなく、それに興味がなく、その才能を発揮することなく生涯を終える人っているんじゃないかなと。
必ずしも自分の好きなことに才能って比例するわけでもないのかなとも思うし、
逆に才能なんか無くても、努力で才能を飛び越える人もいるとも思う。
1番いいのは、好きなことで抜群の才能を発揮出来ることだけど。
それが見つかる幸福と、それに出会いない不幸。
いゃーでも……。
むしろ、才能があることで生きることが苦悩になることもある。
才能に出会わないことが幸せかもしれない。
ところで、今さらだけど才能ってなんだ。
ほーーん。そのすぐれた能力とやらほしいね…。
その人の頭の中にある抽象的なものが具体的な何かになって、それに触れる機会が巡ってきて、尚且つそれが自分の感動ポイントのドンピシャなら、ザワザワして、尊敬と敗北との両方が自分を通過する。
この世に存在する絵とか、本とか、音楽とか、映画とか、建築物とか、ファッションとか、あらゆる作品が誰かの頭の中の世界から作られているものなんだなーいう事実にいつも感動してしまう。
構造的には自分と同じ細胞とか、臓器できている人間が作り出すものなのに。
そもそも、すごく雑なことをいえば、アートとか、カルチャーとか、宗教とか、人が生きていく上で無くても命の危機に関わるものではない。
直接的に命に関わる衣食住さえあれば、物理的に生きてはいける。
だけどそれらがあることで人は豊かになって、それらを糧にして、人生を色濃くする。
むしろそれらが、衣食住より大切な生きる意味になってるなんてのは大いにある。
だから素晴らしい才能に出会うといつもワクワクするのだろうか。
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