クリスマスと我が家の風景
父の
「ロビンフットに行こか!」
それはわたし達兄弟にとって最高にワクワクする言葉だった。
ロビンフットとは実家から、車で10分ぐらいのところにあるおもちゃ屋さんのこと。
毎年12月23日になると父がそこへ連れていってくれた。
その日はわたしの誕生日なのだ。
誕生日プレゼントはその場で買って貰う。サンタクロースから貰いたいプレゼントはお店で選んで父に申請。
父を経由して、サンタクロースに願いが伝わり、クリスマスに届くシステムだった。
子どものわたしには誕生日とクリスマスのプレゼントが2日連続で貰えるそれはそれは夢の2日間だった。
ケーキも誕生日ケーキとは別にクリスマスケーキの二つを毎年母は用意してくれていた。
父はロビンフットに。
母はケーキ屋さんに。
それぞれが毎年2日連続で何年もの間、通いつづけてくれた。
両親は二人ともあまり愛情表現が得意な方ではない。
これみよがしに可愛がられた記憶はあまりない。
だから幼き頃は、ふとした時にわたしのことが可愛いいのだろうか…ときに不安になることもあった。
同じ親になってみて、今ならわかる。
不器用な愛情が溢れていたことに。
下手なだけだった。
自分も同じだ。
3人の子ども達に対してこれ以上形容できるワードがないほどつまりは愛している。
だけどわたしちゃんと愛せているのかと不安になる。両親もこんな感じだったのかな…と思う。
わかりやすい目に見えるにものだけが全てではない。
でもそれがわかりやすく見えたらとっても安心するのにね。
愛してるが言えない。
連面と続く下手くそな家族。
そもそも上手な家族なんてものはあるのか?
そんな我が家では、その前日に父からの伝言を賜ってくれたサンタクロースから毎年願い通りのプレゼントか必ず兄妹で眠るベットに届いた。
兄とは年子。小学生までは同じ子ども部屋の二階だてベットで寝ていた。兄が上で。わたしが下。
とても怖がりなお兄は泥棒が入ってきたら一番に狙われるのが下やから
かんちゃん(当時のわたしのあだ名)下な。
上じゃないと怖くて…。
兄らしからぬ兄。
一つしか歳が違わないこともあって、兄というより弟みたなところがあった。
何をするにも
「かんちゃん、かんちゃん」
わたしの後ろから、あれこれ指示をしてきてはわたしが実行役。
二人でおつかいに行っても、母から頼まれたものがなくて店員さんに聞かないといけない時も
「かんちゃん…聞いて」
回転寿司屋さんに行ったときも、
「かんちゃんお願い!イクラたのんで」
当時のお寿司屋さんは今の様な画期的な注文システムが無く、レーンに欲しいお寿司が回って来ないときは、レーンに囲まれるようにしながら中央で寿司を握る職人さんに直接声かけて注文するスタイルだった。
兄はそれが恥ずかくてできなかった。
いつだって、かんちゃん頼み。
見かねた父が寿司屋でキレた。
「自分でたのまんなら、食べんなーーー」
母もわたしもオロオロ…回りのお客さんもチラチラこちらを見てる。
あの子…怒れてちゃってるねみたい視線を感じる。
結局、凍り付いた時間が経過するばかりで、兄はれ以降は一貫も注文することができず…とうとうお寿司を食べれなかった。
もう30年以上も前のエピソードだけど未だに母とその話題になる。
「…あれは可哀そうやったな…」
「なんでなー、注文ぐらいな。してやってもいいのに…。でもお兄ちゃんも勇気をだして言ったらよかったのにな」
こどもの頃の一つ一つのある日のことが、深く心に生き続ける。
母と共にちょっと切ないエピソードとして今も。
兄は覚えているだろうか?父は…。どうだろか。
そんな少しソフティーな兄は24日の夜になると二階立てベットの上からおしゃべりが止まらない。
「かんちゃん!絶対サンタみよな」
「かんちゃん!プレゼントちゃんと届くかな」
「かんちゃん、起きてる?」
「かんちゃん…かんちゃん…zzzzzzz]
夜通し起きてることなんて到底できない兄とわたしはいつの間にか夢の中。
そして朝
しかも毎年激早!!
ベットの上から
「かんちゃん!!!!起きて~」
「プレゼントきてるー」
「かんちゃんは?ある?」
兄にたたき起こされる形で、毎年迎えるクリスマス。
パジャのまま、もらったおもちゃで遊びほうけるただただ幸福な朝。
お寿司のちょっぴり苦い記憶も、クリスマスのかんちゃんで起こされる朝も、両親それぞれが2日連続のお店通いでわたし達を喜ばせようとしてくれた陰の苦労も
それが、全部我が家の風景。
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