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#エッセイ
知っているということ
人の頭の中には引き出しがある。
野球のことに関して言えば、ぼくは引き出しが多いと思う。そもそもの情報量は多くないけれども、どこを調べれば欲しい情報を手に入れられるのかを理解しているつもりだ。
だからいろいろなことが調べられるし、よく知っている用に見える。誤解されやすいけれどもぼくは知っているというより「調べ方を」知っている、というほうが近いのかもしれない。
美味しいお店やらなんやらもそうだ。
ちょっとだけがんばる
もうあと1週間とちょっとで10月も終わる。
早いのか遅いのかわからない1年が過ぎていく。1年という区切りは来るけれども、ウイルスに区切りはなく来年以降がどうなっていくのかは、だれにもわからない。
ぼくだけでなく多くの人が不安に思っていることだろう。仕事はあるのか、続けられるのか、会社はつぶれないのか。そんなことを考える人はきっと多い。
ぼくはわりかしなんとでもなるかなぁと楽観的なことを考えて
となりの芝生を荒らす人々
「となりの芝生は青い」ーーよく使われる表現だ。ご存知の通り、自分や所属する会社などよりも他が良く見える現象のことである。昔の人はよく言ったものだ。こういったことをよく見聞きする。でも、これはあくまで自分の中の思いや願望であり、他の人には迷惑をかけていない(たぶん)。だから、ぼくは「まぁいいんじゃないの」と静観することがほとんどだ。
一方で「となりの芝生を荒らす」行為もよく見かけるようになった。ち
リセットするのがいいのかもしれない
どこまで配慮すればいいのだろうか、とときどき考える。ほんとにときどきだ。毎日考えているわけではない。たぶん、麦茶じゃなくてほうじ茶を飲むくらいの頻度だろう。
ひとつの発言が切り取られ様々な解釈をされ、尾ひれが付き元の話と違うことになっていることがある。そうならないように最大限配慮したにもかかわらずだ。なにかの発言が炎上したとかそういう話ではない。
配慮するとはどういうことなのだろうか。あからさ
SNSでリセマラを繰り返す
簡単にリセットできる時代となった。
子供のころは「リセットはゲームの中だけ」「人生はリセットできないから」と教えられてきた人も多いのではないだろうか。それが、である。
たしかに、ゲームでいうところの残機、すなわち現実世界においての命に関してはリセットできない。人生のアウトカウントはひとつという部分は不変だ。今後何百年か経てば変わるかもしれないが、ぼくが生きている時代に変わることはないだろう。