違いを受け入れること

愛と恋の違いはなんなのか。

そんなテーマがあった。あくまでぼくのタイムライン上の話である。世の中ではいたるところで語り尽くされているだろうし、あまり目新しい話題でもない。

過去から現在に渡るまでいろいろな人がいろいろな解釈をし、いろいろな都合の良さをことばにして発信してきた。どれが正しいのか、間違っているのか、という明確なこたえはないはず。

目に見えないし、姿かたちもない。もちろん色だってついていない。表現としてはのぞいてね。

ぼくなりの解釈はこうだ

「愛は相手が主体、恋は自分が主体」

愛というものは相手を愛すること。恋というのは自分が恋すること。そうやあって考えることがほとんどのはず。もちろん相手というのは人じゃない場合だってあるだろう。

恋しいから愛しいに変わることがひとつのステップに語られがち。でも、最初から愛をもっていることもある。家族愛やペット愛なんかはそうではないだろうか。

この解釈はただしいのかどうかわからない。あくまでも、今のぼくが考えているだけであってもしかしたら明日には違う解釈をしているかもしれない。人間というのはそういうものだ。

ほかにも人の数だけ人の考え方がある。それぞれを受け入れることは、もちろんできない。自分と相反する考えや思想はとうぜんある。そういった人と相対したときにどう反応するかで、その人の大きさがわかるはずだ、きっと。



こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。