報告されること
うれしいことがあったとき、悲しいことがあったとき、なんでもいいのだけれどもぼくは誰かに報告するだろうか。
何年(何十年とも言う)か前、大学受験に受かったときは、同居していた親に報告をした。その次に高校の担任にも電話した気がする。
ここ最近ではご紹介いただいた人と仕事をともにすることになったときだ。
引き合わせていただいた方には、しっかりと報告を行うようにしている。それは筋を通すということもあるけれども、やはりお礼の意味合いが強い。
そんなところだ。
逆に言うと報告を受けることというのはほとんどなかった。数年前の後輩の結婚くらいだろうか。その他にはこれといって報告されたことはなかった気がする。
ところが、である。
本日は複数の嬉しい報告をもらった。詳細を書くことはしないのだけれども、ぼくが「おめでとう」といえることなのはたしか。
ぼくがなにかをしてあげたわけではなく、見守っていただけなのだけれども報告をもらうと嬉しいものだということを実感した。
嬉しい報告をもらうことはこんなにもいいことだったのか。この人に報告しよう、と思われるような人間になろう。
そう思わされる1日だったから今日はヤクルト400を飲む。
こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。