書く理由ってあるのだろうか?
灰色にしては白く、白と呼ぶのは少し、いやかなりためらわれる。今日の夕方前に見上げた空はそんな不安定な色だった。
まるでぼくの心の中のようだ、といった感情は1ミリも生まれなかった。小説やドラマではそういった挿入があったりする。でも、リアルに生きてる人生でそういう経験は殆ど無い。あったとしてもこじつけでしかない。
それでも、情景描写や心理描写を交差させる表現に人は思いを乗せたり、想像を張り巡らせたりする。それだけ「ことば」であったり「表現」に力(パワー)があるということだろう。
残念ながら、ぼくは大先生でもなければ、大作家でもない。ひとりのライターでしかない。だから、まだまだ「ことば」には力(パワー)が宿っているとは思えないし、まぁ実際に宿っていないだろう。
これは僻んでいるわけでも、だれかに嫉妬しているわけでもない。なぜならそれが事実であるからだ。自分でもよくわかっている。
それでも、なんで文章を書いているのだろうか。
もちろん、生活のためではある。書いた原稿でお金を頂いて生活をしているわけだから、それは間違いではない。でも生活するだけなら、なにも書くことじゃなくたっていい。別にコンビニでバイトしてもいいし、本屋だっていい。もしかしたらファミレスの厨房だって雇ってくれるかもしれない。
こう見えて、ぼくは飲食経験は割とあり、料理は苦手ではない。作らないだけだ、というと言い訳っぽく聞こえてしまうかもしれないが事実である。
話がそれた。
ぼくは「書くこと」を仕事にする必要がどこにあったのだろう。
世の中では多くの人が働いているわけだけれども、その仕事をしなきゃいけない理由はなんだったんだろう。多くの人が深い理由を持っていないんじゃないだろうか。悲しいけど。
他の人のことまではわからないけれども、ぼくはぼくなりに答えをちゃんと持っておきたい。
仕事にする必要はたしかになかった。生きる上ではなんだっていいのだから。
でも、どうせやるなら好きなことを仕事にしたい。ぼくが好きな野球に携わるために、もっとも近いであろう道を探したら書くことだった。もちろん他の道もあるだろうが、数年前のぼくにはこれしかなかった、いや考えつかなかった。それから書く日々が始まったのである。
まだまだ書きたいことを書けていないし、生活だってけっして楽なわけじゃない。それでも指が動く限りは続けていくんだろう。やっぱり野球が好きだし、たぶん書くことも好きだ。
こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。