残ってきたものに触れる

この冬、ぼくは大人になる。

なんだか映画のサブタイトルみたいだ。いや、映画は見ないのだけれども、なんとなくそんな気がする。いたるところで言ってる(書いてる)けれども、ぼくは映画を見ない。これは映画館で観ないというだけでなく、DVDやテレビでの再放送的なものも含まれている。

映画館で観たものは『もののけ姫』が最後だ。DVDで借りたことはない。アメリカドラマはあるけれども。ちなみに野球ものもだ。例えば『マネーボール』『42』『フィールド・オブ・ドリームス』などももちろん観ていない。

話がそれた。

野球のシーズンオフである12月。昨年よりも仕事は増えた。にもかかわらず、時間は捻出できている。ぼくの仕事が早くなった、というよりかは厳選した成果だろう。12月、という意味では収入も増えた。税抜きの段階で2倍以上だ。もちろん、生活は楽になっていない。その分は全てと言っても過言ではないくらい、投資に回しているからだ。

投資、といっても株式や仮想通貨といったたぐいのものではない。野球に関するものを含む書籍やグッズ、遠征などなど。来シーズンの年間シートもここからになる。ちなみにひとりなのに2席申し込んだ。いくつか要望を出しているので、確保できうかどうかは不明ではあるが…。

このように投資に回しているのだけれども、そのひとつに読書という分野がある。今さらかもしれないけれども、何事もおそすぎることはない。思いついたときに始めるのが正解だと思っている。

もちろん、今までも読書はしてきた。でもその時代を少し、というか1000年近く遡る。いわゆる万葉集や徒然草といった古典を読みたいのだ。移りゆく時代の流行り廃りがあるなかで、長い間、残ってきたのはやはり優れているからだろう、とぼくは思うからだ。

その原点にぼくは触れたい。古典、短歌、小説、エッセイなんにしろ野球にかかわらず読んだり、書いたりする。まぁ古典は書けないか。それがこの冬の誓いだ。

ある選手が言っていたのだけれども

「自分ー野球=0だったらなんかちょっとダサい。」

選手と同列に語るのはおこがましいかもしれないけれども、ぼくもそう思う。世界観を広げるための第一歩が読書、ということだ。

春にはきっと階段を登っているはず。

こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。