リセットするのがいいのかもしれない

どこまで配慮すればいいのだろうか、とときどき考える。ほんとにときどきだ。毎日考えているわけではない。たぶん、麦茶じゃなくてほうじ茶を飲むくらいの頻度だろう。

ひとつの発言が切り取られ様々な解釈をされ、尾ひれが付き元の話と違うことになっていることがある。そうならないように最大限配慮したにもかかわらずだ。なにかの発言が炎上したとかそういう話ではない。

配慮するとはどういうことなのだろうか。あからさまな誹謗中傷や暴言ではなければ、なにを言ってもいいよ。と胸を張って唱えてもいいものなのだろうか。言論の自由があるわけだし、まぁいいのだろう。これを言ったら、誰かが傷つく。とかそれを言い出したらキリがない。

「◎◎のチケット当たりました」といっただけで「当たってない人もいるんです。配慮してください」と言われる時代である。そのうち、「おはよう」と言ったら「病気で起きることのできない人もいるんです」と言われる時代も来るのではないだろうか。「おはよう」の例は極端にしても、これに近いことはすでに起きているわけなのだから。

SNSを多くの人が日常的に使うようになり、すごくコミュニケーションの取り方がむつかしくなった。今ぼく自身にSNS疲れがあるわけではないけど、いちいち気にする人が多くなり、こちらも気を遣うことが増えたことは気のせいではないだろう。誹謗中傷や誰かの悪口を言うわけではないのに、なんで様々な配慮をしなければいけないのだろうか。

それは今いるコミュニティーが、ぼくにとって最適なものではないからだろう。もしかしたら0から作り直すのもいいかもしれない。前に書いたけれども、SNSをリセットするのはとても簡単なのだから。


こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。