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Amazonプライムで手軽な情緒に浸る 2024.3.14

ずっとnoteを書きたかったのですが、気持ちが定まらず書けない日々を送ってました。
今週は今までの代休やら法律的にとらなければいけない有給があって、ものすごくゆっくり過ごしています。
毎日よく眠って、ゆったりした気持ちで一駅分歩いたり、自炊をしたり掃除をしたりしていて、なんだかこういうご機嫌な時の自分が好きだなぁと思いました。
いつもその姿ではいられませんが、ぼーっとして好き勝手にものを考えて周りのものに素直に反応できるような人間でいたいんですよね。だから、そうした時間や空気を作ってくれる人に惹かれるんだろうな。
30年と少し生きてきて思ったのですが、わたしは意識が自分のことにばかり向いていて、そこが自分の性格の悪さに結びついているし、人生のハードルの高さにも繋がっているのですが、自分のことを理解して、そんな自分と向き合ってくれる他人に出会って、その人の個性を尊重したいですね。
自分の描く未来図は簡単に手に入るものではないなとこの1年で気づいたのですが、悲しみや焦りを抱くより、良くも悪くもそういうものだろうと思えるようになりました。
直近の3年はわりと仕事が第一優先で心の柔らかい部分を見ないようにしていたので、今は少し前の自分に戻った感じです。でも前の自分より戦闘力と防御力は高くなっているので、そういった意味では今が一番楽しいかもしれません。

タイトルはAmazonプライムを軽んじているわけではなくわたしの問題なのですが、Amazonプライムで気になっていた映画が家で簡単に見れるようになって、映画館に行かなくなりました。
ごはんを食べながらとかスキンケアの間にながら見、眠くなったり用事ができたら途中で止めるなどしてしまって、どうしても映画の世界にしっかり浸ることができず、ああ、この作品映画館で見たらもっと記憶に刻まれただろうなと思ってしまいます。
とりあえず気になっていた有名作品を見終わったので一言メモ。

『花束みたいな恋をした』
脚本家坂元裕二さんの、繊細な感性や人生の苦しみを書くにあたって安易にエモや絶望に傾くんじゃなく、悲しみと明るさがまだらに混ざった人間賛歌にする感じ、とても好きです。
菅田将暉と有村架純がキラキラ感を少し落として普通の恋人になっている感じ、でもその普通さによってある意味すごくキラキラしてるみたいな、いい意味で映画のヒーロー・ヒロイン過ぎない恋人像が素敵だった。

『私の男』
R15+とかそういうのを超えて、浅野忠信と二階堂ふみがエロ過ぎましたね。二階堂ふみは化け物なのか?
ただ彼女の魅力によりラストが「魔性の女」感に収束して、自分がどこか不快な気持ちを抱きながらも興味を抱いた部分からずらされたかなと個人的に感じたのですが、それは何かというと、これってめちゃくちゃ不謹慎な話だよなーと思ったんですよね。
抗えない何かで欠落を抱えて生きてきた人は、求めるものもそのかたちも普通の人とは違っていて、普通の人が想像する幸せによって救われることはない。むしろ、周囲に蔓延る普通の幸せを侵害して欲望を獲得する生き方を選ぶ。悪意でもなんでもなく、そう生きざるを得ない。
この抗えない何かの一つ、この作品は災害にしてますね。想像の及ばない彼岸にいる人の唯一の欲望を知ったとき、手を差し伸べるという行為がなんだか薄くなっていく。


最近、自分の感情に向き合う上で特に実感するのですが、ひとって幼少期に得られなかったものに一生執着するらしいですね。
病んでる?みたいなこと書いていますが、こういうこと書いているときのわたしは普段より元気だったりします。
また、明日か明後日。

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