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影響を受けた本のこと

小説が好きと言っていながら、そのテーマで一度もちゃんと書いていないので書いてみます。
今回は読んでから考えや感覚が変わったなと思う本をいくつか。

向田邦子「思い出トランプ」
小学生のときに読んだ短編集。妙齢の男女の絶妙な感情の機微を描いているので子どもにはわからない世界のはずなのですが、昔読んだときも今もずっと面白いです。
わたしは小説においては書き切らない美学みたいなものに傾倒しがちなのですが(言葉数が少なく、複数の解釈の余地があるような作品)、その好みは向田邦子さんの作品から始まっている気がします。
人が生きていく上での悲哀の詰まった短編集ですが、人間の性質や人生そのものを面白がるような懐の深さが文章に滲んでいるので、読後感が暗くなりません。一つ一つの話が本当に巧みに作られているのに、そうしたものにたまに見え隠れするある種の冷淡さを感じるようなところが全くない。

角田光代「おやすみ、こわい夢を見ないように」
中学生の思春期真っ只中の頃に読んで、探し求めてた小説ってこれだなぁと思った作品です。
義務教育中ってわたしはすごく苦しい時期で、周囲に求められているように感じることと自我と精神のバランスが全くとれなくて毎日が辛くて辛くてたまらなかったのですが、その辛いところから成長していこうみたいなことを社会からも大人からも多くの作品からも訴えかけられているような感覚があってそれもまた苦しかったんですよね。
冒頭では同じように辛そうにしていた主人公が仲間を得たり自分の弱さを克服したりして物語が終わると、そんないい仲間が手に入るもの?弱さって克服しなければいけないの?と自分だけ置き去りにされてしまって。
この小説に出てくる登場人物たちはそれぞれなかなかに苦しい状況に置かれているけれど、現実世界の大半がそうであるように抱えている問題は安易に解決しないんです。
ただ、彼らは望まぬ理不尽に取り囲まれた結果、自分にしか見えない何かを見る。
それは隠れていた感情だったり知らない物事の有様だったり様々ですが、いずれも日常に危機のない者たちが包まれている柔らかで曖昧な事象とは異なる、今までとこれからの自分を貫くような真実だと思います。
現実が何も好転しなくても、それを獲得することで生きていけるとその当時燃えるような気持ちで思えたんですよね。今はそんなにピュアじゃないのですが、まだ火種が少し残っているといいけれど。
角田光代さんはもうずっとスケールが大きい傑作を書かれている印象ですが、「空中庭園」以前の残酷な現実とそこでしか見えない光のような作品がわたしはとても好きだったり。

川上弘美「溺レる」
性愛の話ですが、これも小学生のときに読んだと思う。
川上弘美さんの文章が、たぶん昔から一番好きですね。
一見まろやかな(でも実はこわい)余白の多い文章が幽玄の世界に連れていってくれる感じ。
語れる好きな作品があるとしたら、この人の作品はあんまり上手く語れない。でも本当に好きです。

柴崎友香「寝ても覚めても」
柴崎友香さんを知ったのはこの作品からなので、読んでしばらくは街を歩くたびに視点の切り替えやズームに忙しいカメラアイになってしまって日常が楽しくて仕方なかった。(物語に直接絡まない見知らぬ通行人や街で起こった出来事などを細かく描写する、そしてそれを目撃することの奇跡性を書かれる作家なので)
この作品の主人公の行動には、個人的に結構揺さぶられました。人はなんだかんだ予想して行動に移して、その選択を自分にとって正しいと思いながら生きていくことが多いと思いますが、実際に選択肢が複数あった場合どちらも一度手にしない限りそこで初めて見えてくる(本当のこと)は確かにわからないなと。
主人公がとった世間で不道徳と言われている行動は、おのれの感情においてはひどく誠実な気がしたりとか。

古井由吉「杳子」
タイトルの杳子は登場人物の名前で、彼女は精神を病んだ女性なんですが、20歳のときに読んでからもうずっと本の中で彼女が言っていたことに囚われています。

病気の中にうずくまりこむのも、健康になって病気のことを忘れるのも、どちらも同じことよ。あたしは厭よ。

病気の中へ坐りこんでしまいたくないのよ。あたしはいつも境い目にいて、薄い膜みたいなの。薄い膜みたいに顫えて、それで生きていることを感じてるの。

題材が精神の病であることは実はそんなに関係なくて、自分がどこにいるのかという、この感覚。
わたしがnoteに書きたいこと、書こうとしていることは、ほとんどこれにまつわることかもしれません。

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