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教育実践家の集大成としての27歳と教育行政という次のステージへ挑戦する28歳



27歳は濃密すぎて、体感3年くらいのでした。何度絶望して、何十回感動したかわかりません。

初めて学校を異動して、別れの切なさを感じた3月。新しい出会いにワクワクした4月。新しい学校で素敵な人達と出会えたおかげで、小泉志信の今もてる全力を形にする覚悟を決めることができました。

教育実践家としては、今年1年間の大きな挑戦は総合的な学習の時間でした。子供たちにできるだけ多様な選択肢をもって人生を歩いていって欲しい。そんな想いを込めて始めたこの実践。1000人と出会えるように50以上の企業とコラボし、3か月にわたる企業や団体との連携プロジェクトにも取り組み、100人以上のアート関係者と共に、子供たちの人生設計をアートにもして、最後は渋谷QWSで経営者の方々を前に自分の将来を熱く語る子供たちの姿がありました。

また、1年目の時に僕を初めて取材してくれた松井さんや藤井さんにこの一年間を記事にしてもらえたのも、本当に嬉しかったです。

起業家としても大きな仕事ができるようになった1年間でもありました。初めての文科省とのお仕事だったCO-SHAプロジェクトを始め、富士通セミコンダクターソリューションズの技術を活用した教育事業のアイデアソン、DNPとの実証研究など、大きな仕事が頂けるようになってきました。その一方で、オンラインサロンでメンバーがやりたいことに挑戦する様子が増えてきたり、ねすとの子達がクラウドファンディングに挑戦したり、関わっている子達の成長に目頭が熱くなる日々でもありました。TABOOでは、同世代と切磋琢磨し、大規模の有料イベントを形にすることができて幸せでした。

そして教師教育者としての道も歩き始め、広島大学の教師教育者のためのプロフェッショナル・ディベロップメント講座を受講しながら、見取り合宿という新しい取り組みも始め、40人以上の人の教師教育の機会を頂くことができました。

ここまで書いてみて、改めて「ここまでよくやったな~」って感じています。それと同時に、今のままの僕ではここが限界だなとも感じています。正直今もてるものは全て出し切りました。これ以上のものをすぐに出せる自信はありません。それくらい出し切りました。

それと同時に自分の在り方にも危機感を感じました。これまで僕と関わってくれていた人は小泉志信という人と出会って、僕のやっていることに出会っていました。しかし、メディアでの露出が増えていく度に小泉志信という人に出会う前に、僕がやっていることに先に触れ、その後小泉志信という人に出会う機会が多くなってきました。これは自然なことだと思う反面、初めて会う人に抱かれている羨望の眼差しに息苦しさを感じていました。

小泉志信という存在は敬われるような存在ではなく、誰よりももがいていて、その姿が周囲に勇気を与えらえるそんな存在であり続けたいと思うようになりました。

だからこそ、僕は次のステージに進みたいという想いが強くなりました。できることをするのではなく、誰もやったことのない道を歩み続けるものとして、常に挑戦者で在りたいと強く願うようになりました。そして挑戦することでより多くのことを吸収したいのだと思います。僕は貪欲で欲張りなんです。今のままじゃ満足できないです。

28歳は縁あって鎌倉市の教育委員会で働くことになりました。実践家から教育行政にいくことで見えることが変わったり、できることが変わっていくと思います。この年齢で教育委員会に行くことに対して悩みがなかった訳ではないですが、教員として現場を知り、起業家として社会を知った上で、行政のことを早めに知っておきたいという気持ちも強くありました。

今は新しい挑戦に胸が高鳴っています。たぶんたくさん失敗もすると思います。思うようにいかないこともたくさんあると思います。だからこそ、挑戦する価値があるとも思っています。

僕は常に挑戦者で在りたいんだと思います。

これからも未熟者ではありますが、28歳の小泉志信を応援よろしくお願いします。

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