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JIBUNSHI

職場が青山に移転してから、私はほぼ休みはなく毎日営業に入っていた。
青山のサロンは部屋が3つあり、今までよりも格段にサロンっぽい。
トモヤさんが内装をアジアン風にしてくれたので、制服もアジアンなワンピースになった。

当時私はお昼くらいに待ち合わせをし、サロンに連れてきて、マッサージをし、契約を決めるクロージングを外で行い、契約が結べたらアフターに
連れて行くというルーチンを繰り返していた。
私は営業が大の苦手で、サロンにお客さんとなる子を連れてきた時点で先生やサラさんにフォローに入ってもらっていた。

当時から私は人にものを勧める、ということが全くできなくて、むしろ、やりたくない人はやらなければいいという正反対の考え方をしていた。
そんな人間が営業に入って月100万稼ぎたい!なんて1年の抱負を語っていたのだから笑える。

この頃、社長とトモヤさんは付き合っており、一緒に住んでいた。
付き合っていることは青山に移る前から聞いていて、年下の彼だなんてやるなぁと思っていた。(トモヤさんは社長の8,9個下だった)
社長の家はこの頃、青山の方から頃恵比寿駅から少し歩いたところに引っ越していた。
大型犬を何匹か飼っていたため、一軒家に住んでいた。
同時にこの頃から私とサラさんは社長の青山の家によく行くようになった。
プライベートでなく、もちろん仕事のことで。
トモヤさんが基本的に家にいるので、トモヤさんに営業について教えてもらうよう、言われていたからだ。
一度家に行きだすと、流れで定期的に営業の報告に行くようになった。
サラさんは私と違い、一人でクロージングまでの営業に入っていたので、社長やトモヤさんから期待されていた。

クロージング先は決まって六本木のレジーナだった。
クラブがあるラウンジバー。
店長と社長はもうすっかり仲良しになっていた。
時には毎日のように行っており、店員さんとは顔馴染みなっていた。
私たちはいつも個室のVIPルームに案内され、お客とのアフターを行い、お客が帰ったあと社長はいつも私たちを残し、お腹が空いた、と言って料理やお酒を注文していた。
時には明け方まで飲んで騒いでいたこともある。
週末だとほぼそれが決まってのことになっていた。

社長は人付き合いが上手で、見た目も派手で日本人離れをした顔立ちをしていたので、レジーナに来ていた他の派手なお客たちの気を引き、すぐに仲良くなっていた。
私はそんな社長のもとに居られることが幸せであり、誇らしかった。

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