見出し画像

余計な○○

余計な○○をすると、余計な○○
をされる


○○に入る言葉は
①おせっかい
②批判
③注意


朝、人がくれたちょっとしたささやかな注意に腹が立ちました✌️✨
わたくし全然まったくもって賢者や聖者ではありません(^^)✌️


それでこう思いました
「まったく~文句つけマンめっ😡」プンプン

そしてこう言いました
「黙ってて⚡まかしといてよ!😠」
ムッカァーですわ

バイロンケイティという人の言葉に
こんなのがあるんですね

これまであなたが相手にアドバイスしてきたことはすべてあなた自身が聴く必要のあること」

となると、、
私は「黙ってて」と「まかせといて」
私自身が聴く必要があるということです。


余計な注意された私は
余計な注意をしているということ。

人からされて嫌なことは、必ず(相手か場所か時間を変えて)自分が人にしているそうです。
万が一、全く自覚がない場合でも、前世や前々世や前々々世でしていないとは言い切れない😊

そうやって思い返してみると、

前々々世まで遡らずとも、昨夜母へしてるのです。

ちゃーんと、余計なお世話をして
ちゃーんと、余計なことを言うとるのです
ちゃーんと✌️

ここでやっと、母を傷つけたのだな。。と気づけたわけです。
わるかったな、ごめんね

因果応報だったか。。。


腹がたって相手を責めるときは、何か見落としているらしい。

大切な気づく必要があることを。
相手の身になってみる。ということを。

私は母を注意しないで、ただ受け入れてあげたら良かったのだ。


朝、ムッカァーとしたけど、そのことがなかったら気づけてなかった。
嫌なことも必要があって起きている。
起こることは全て必要があって起きている。
起こることは(怒ることは)気づきの為に起きている。


実は、起きていることは全て最高最善なのだそうだ。


気づけなかったら、自分の善意のままに、また人を傷つけたかも。気づけて良かった✌️✨

本📕『奇跡講座入門』ケネス・ワプニック著によると
人を許すと同時に自分も許されるそうです。
なんなら、自分を許すために、人を許す経験をするのだとか。
そのために誰かが敵を演じて、心のクリーニングを敵役になって手伝ってくれるのだとか。
わざわざ怒らせてくれるのだとか。
まあ、自分も同じことを人にやってて、因果応報ならしょーがないですよね。許せる😊
🍓

そして母へはちゃんと「ごめんね」を言おう。

🍓

そうして許されたなら、

殊勝なのはつかの間

私はすぐに調子に乗って

自分の知ったことを、むしょうに伝えたくなるのです。


「あのね、お母さん
 自分の口から出た言葉を一番聴く必要があるのは、
 自分なんだって⤴️」

これが、私の余計なおせっかいです✌️

黙ってて」
「まかせといて」
また、誰かに言っちゃう経験させてもらうかも(///∇///)


そろそろ
私は黙って見守る父性を身につける時のようです。

やってみます😌

いつもありがとうございます🌱お花を買わせていただきます