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ベトナム人元技能実習生のジャパニーズドリーム

技能実習制度の見直しが議論されているが、実習制度をきっかけに人生を切り拓いている若者たちがいる。

埼玉県本庄市の某建設会社で建設エンジニアとして働いているベトナム人 ドン・ヴァン・ヒューさん(写真)がそのひとりだ。

ヒューさんは元技能実習生で、かつて三年間、群馬県伊勢崎市で大工として働いたことがある。

実習修了後に帰国してからは、大手送出機関に就職し、日本の監理団体への営業や、実習生の相談業務に携わった経験の持ち主だ。

筆者とは丁度その頃からの付き合いで、知り合ってからもう五年ほどになる。当時はハノイを訪れるたびに、一日中一緒に車に揺られて郊外の日本語学校や訓練センターを案内してもらった。

控え目で誠実な性格に好感を持ち、いつしか仕事抜きで食事にいくほどの間柄になっていった。

「いつかまた日本で働きたいです」がヒューさんの口癖で、目を輝かせながら夢を熱く語ってくれた。

コロナ禍で海外渡航ができなくなってからは疎遠になってしまっていたのだが、その間にヒューさんは、自らの力でしっかりとその夢を実現していたのだった。
聞けば、ヒューさんがビザを取得したのは、コロナが世界を席巻し始めた2020年3月で、入国規制直前のまさに滑り込みだったそうだ。

その頃はまだ新型コロナウイルス感染症の実態が不透明な時期で、母国に家族を残したまま独りでの来日は、不安な気持ちでいっぱいだったと当時を振り返る。

仕事の内容も実習生時代とは大きく異なり、CADを使ったデスクワークが中心で、求められるクオリティも変化した。

数年ぶりの日本の生活にもすぐに慣れることは出来ず、最初の一年は精神的にあまり余裕がなかったそうだ。

それでも同僚に助けられながら、持ち前の粘り強さと勤勉さを活かして、とにかく新しい仕事を覚えることに集中した。

その甲斐あって、二年目にはいくつもの現場を任されるようになり、日本語もさらに上達していった。

現在は、注文住宅の設計業務を担当し、クライアントとの商談にも参加するほどになったそうだ。

一方、週末には、同じ会社で働く実習生の相談に応じたり、通訳として役所や病院へ同行したりすることもしばしばだとか。

自分が元実習生だからこそ理解してあげられることや、送出機関で働いていたからこそ持っている知識が、今、後輩たちのフォローに役立っているという。
三年ぶりに再会したヒューさんは、ひと回りもふた回りも成長し、すっかり頼もしくなっていた。

そして、次なる目標は「日本の永住権を取って、自分で図面を描いて家を建てること」と飽くことがない。

ヒューさんのジャパニーズドリーム第二章に、益々の幸あらんことを心から願いつつ、実習生制度がアジアの若者に希望をもたらすものであってほしいと望むばかりだ。


(※このコラムは、ビル新聞2023年2月27日号掲載「ベトナム人の元技能実習生ヒューさんとの再会」Vol.46を加筆転載したものです。)

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