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独立派夫婦生活

薬指につける指輪というものが苦手だ。
結婚して2年になる。
婚約指輪は購入せず、結婚指輪のみ購入した。
しかし、たまに夫婦で出かける時につけるのみで私たち夫婦は基本的に指輪はしない。

なぜなら、モノに繋がれなくても繋がれている自信があるからだ。

・所有物じゃない

最も思うのは、夫婦というものは互いに互いの所有物ではないということ。
結婚指輪は「既婚者」の証であり、婚姻の証明。

確かに夫のことを愛している。
けれど、私は妻である前に「私」なのだ。
夫とペアで生きてるわけではなく、私は私として様々な顔を持って生きている。
指輪は、その妨げのように感じてしまうのだ。
見張られてるというか、首輪をつけられた猫の気分。
うちのペットなんですよ、って言われてるそんな気分。

私はいつだって自由。

・結婚しなくてもいい、それが理想

極論を言うと私は「結婚」しなくていいと思っている。
「結婚」っていう契りがなくても、一緒に生きていけること。
それが理想なのだ。
契約がなければ続かない関係なんていらない。
首輪がなければ維持できない関係なんていらない。

そこで出てくるのが「浮気」である。

・浮気バンザイ理論

私が提唱しているのは「浮気バンザイ理論」だ。
文字の通り、私は浮気するならすればいいと思っている。

夫婦はそれぞれ別人格であり、独立している。
互いに所有物ではないとは前述した通りである。
一緒に過ごす相手だって、自分の仕事や方向性だって自分で考えるべきこと。

結婚は感情でするものではなく、あくまでも私の中ではビジネスと同様の感覚。

お互いの利害関係があり、その関係がうまくいかなくなれば契約解消すれば良い。
それはお互い年齢を重ねるうちに、ステージも変わっていくし
変わらないことの方が少ないはずだ。

そんな中で「ずっと同じ人」と何十年も契約を結び続けることは、相当の忍耐が必要であり
その忍耐は人生においてそんなにも必要なことなのだろうか?

それは自分軸ではなく、他人軸で考えた行動ではなかろうか?

しかし、私は女としてこの理論には一つ条件を付けたい。


嘘つきと自分の尻拭いできない奴は論外

ということである。

さあ、性別も年齢も関係ない。
人生は短い。

自分の人生を何かに、誰かに委ねたり依存するのはもうやめよう。

自分の人生の舵をとれるのは自分だけだ。

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