【経験談#1】 身内が亡くなった時は誰にも頼らずひとりになろう

今朝、起きてから餌をあげようと鳥籠に近づくと、飼っていた小鳥が鳥籠の底に横たわっていた。
昨日まで元気だったのに、突然亡くなってしまった。

私の父も、起床してからすぐに病院から電話があり、亡くなったことを知らされた。
今朝の出来事で、2年前の父の死の記憶がまた鮮明に蘇ってきてしまった。

病院へ行くと、コロナ禍だったため警備員に防護服とフェイスシールドの着用をお願いされた。そして、足元と手にはアルコール消毒がかけられた。
そのまま案内され、父のいる病室へ入ると、白い布を顔に被された父がそこにいた。母がそっと布を取ると、青ざめた父の顔があった。

すぐに、葬儀屋が遺体を運び出しに来ると連絡があり、私はその雰囲気に耐えられず、病室の外でしばらく座っていた。
手の震えが止まらず、堪らずに親友に報告すると、「大丈夫?」とメッセージが来た。恐怖に怯えている自分といつも通り過ごしている親友との状況の差に、余計具合が悪くなってしまった。

訳がわからないまま父の遺体と共に車に乗せられ、その車は葬儀屋の運転で霊安室へ向かっていた。
親戚が駆けつけてくれ、車の中でゼリーでも飲むようにと気にかけてくれたが、何をする気力も湧かなかった。

誰が突然防護服を着せられ、父の遺体を見て、車に載せられた後、正気でいられるのかと思った。
立っていられないほど体調が悪くなってしまい、母や親戚に手続きを任せて先に家に帰らせてもらった。

母の前で泣くことは禁じられているような気がしているので、家に着いて、私は初めて号泣した。父は身体が弱いくせにタバコとアルコールの依存症で、寿命はそう長くないことはわかっていた。
しかし、いざ遺体を見ると世界が終わってしまったかのような絶望感に襲われた。

その翌日からは、通常通りに大学のオンライン授業があった。
絶望感に襲われた後にも変わりなく日常が続いていくことがとても気持ち悪かった。
当然、ろくに授業が耳に入らない。質問されても何が何だかわからない。
葬儀の日には忌引きをすると伝えると、追加課題が出題された。

サークルも普通にあった。しっかりと活動をするタイプのサークルで、私が思うように活動できなくなると、周囲からの厳しい叱責が始まった。
父が亡くなったことを伝えても周囲の反応は変わらなかった。
私はそのまま静かにサークルから消えた。

以上の経験から、身内が亡くなった時に他人と関わると、激しい温度差で無駄に傷つくため、一旦ひとりになった方が良いと学んだ。
誰からも理解されない絶望は、自分の力で治すしかない。

私が先生やサークルの仲間の立場であれば、一旦休んでゆっくり戻ってくるように伝えるんじゃないかな、と考えている。そうした期待が余計苛立ちを募らせていった。他人は変えることができない。ひとりになるしかない。

時間をかけて、苛立ちも絶望も和らいでいったが、今もふとした瞬間に胸が焦げるような激しい感情が湧いてくる。
あの時、厳しい言葉をかけてきた人たちには、どうか私の知らないところで緩やかに苦しみ続けてほしい。
そう願うことで私の心は保たれている。

身内が死んだ時は、ひとりになろう。
そうすれば、誰も傷つかない。


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