入浴欲求が満たされない

入浴が好きだ。普段は熱めのシャワーですべきことを順番に終わらせて上がるから15分もかからない。この15分で、いかに効率よく快適と清潔を手に入れるかがわたしの毎日の燃えポイントだ。

でも、たまには「ぽちゃん、ちゃぷん」と音を立てて浴槽に浸かりたいな、という気持ちが私にも生まれる。温かいお湯にぴったり包まれて、よい音響の中で水と戯れる時間。夢の中にいるより心地が良いことを身体が覚えている。だから私は、浴槽に湯を貯めて入ることにした。

追い焚き口から熱めのお湯が吐き出されたら、私は少しお湯の中で身体を揺らす。「うむ、よい」と感じたら手を伸ばし、温かいお湯がほうぼうへ分散しないよう、水かきを閉じてゆっくり身体の方へ寄せる。水面が少し揺れるけど、音はなく、水面下で少し鳥肌が立ちそうな温かいお湯が肌に当たってふわりと周辺に広がる。

大きく息を吐く。すると次の瞬間には勝手に息が吸い込まれる。呼吸に意識を向けると人体の不思議なカラクリに今さら驚く。でも二度目の呼吸ではすぐにどうでもよくなる。

気持ちいいけれど自宅のお風呂は暇だ。スーパー銭湯ではぬるい露天の炭酸風呂でダラダラとテレビを眺めて1時間以上過ごせる。テレビに飽きても、他の人が移動する足音を聞いたり、湯けむりの空を見ていると時間を忘れる。想像するだけでスーパー銭湯の良さを何個でも言える。

この風呂場から見えるのは、天井、立ち上がらないと風景が見えない高い窓、掃除道具。タイルのヒビ割れを見るとどうしようもないことをたくさん考えそうになったので、シャワーを浴槽に誘い込んで遊ぶことにした。

シャワーを沈めて水面に向けるとお水のゼリーが出てくる。音もなく滑らかなお水のゼリーは触るとすぐに形を変える。もっと立派な高さにしたくてシャワーを水面に近づけると、突然噴水が現れて私の顔をべしょべしょにした。

私は水が目や耳に入るのが苦手だ。どんなに拭っても「この目は水が入りました」という感覚が大嫌いなのだ。孤独なマジギレである。「二度と水遊びなどするものか、水め、シャワーめ…」と怒りの強さで顔を拭き、テンションだだ下がりで風呂を後にする。

ああ、やっぱり遊ばなきゃよかった。いくつになってもお水のゼリーでしくじる。こんなことなら皮膚感覚をじっくり楽しめばよかった。それができないなら、いつも通り用事を淡々と順番に済ませるべきだった。

そうして私はやっと気付いた。

自宅の風呂は日常を洗い流す場所だ。浴槽に浸かったとて、楽しむ場所ではなかった。冷静に思い出すと、リラックスして微笑んだ記憶はすべてスーパー銭湯や温泉の私だった。

私の真実の望みは「スーパー銭湯に行きたい」だったのだ。何時間も風呂をまわって、腑抜けの間抜けになるほどにゆるみたい。そのために、立ちくらみしない身体を手に入れたい。毎日の風呂を15分で上がるのは、すぐに疲れてフラフラになるからだった。体力のなさが、ここでも私の邪魔をする。やはり松屋が必要だ。

すべての欲求は松屋に繋がっているのではないか。

2020年9月22日からはエビチリが食べられる。嬉しい。そろそろ松屋ネットの会員登録をしようかな。でも松屋にぞっこんなことを公にするみたいで会員登録は照れる。やっぱりもう少し先にする。

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